鵜匠の家『十(十の字)』と小瀬鵜飼の
歴史を探る
鵜匠の家として続く足立家の一代目は
木曽朝日家の嫡男として生まれた者と伝えれれております。
戦国の世に家督を弟に譲り小瀬へと討ち逃れたそうで、
なぜ小瀬の地に至ったかその経緯は分かっていません。
昔ここが小瀬村と呼ばれていた頃の話。
足立姓を名のる名主(現在もその方の子孫が関市に
在住され、その内輪で毎年『やさやさ祭り』なる行事を当時のままのしきたり
によって行われている。)の家でわらじを脱ぎお世話になる。
そこで足立姓をもらい(或いはその後に別の足立家へ
養子入りしたのかもしれない)
足立新兵衛と名乗り代々その名を世襲する。
70年程前昭和初期のやさやさ祭りの写真
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どのような経緯をもって小瀬鵜飼が始まったかははっきりと
わからないが、足利時代初期に黒野の鵜漁者が長良村及び
岩田村に移り岩田村の鵜漁者が更に永正元年(1504年)
小瀬に移住したと伝えられていること。小瀬の名主が
この辺りの漁業権を持っておったこと。そして『足立新兵衛名主の
世話にて・・・鵜飼を営み天文二年十一月十五日死去』の文献。
今となってはこれらの事から様々な説を唱えるのみとなっている。
言えるのは小瀬、長良の鵜飼はもとは一箇所にあり、
分かれたのであるが共に織田、徳川及び皇室の保護を受け
御用をつとめて今日に至ったという事である。