Asia Club Report
MOVEMENT
2 Jln bkt Bintang KL
「ミスター、何処を探してもありませんぜ。」
タクシーの運転手は聞き取りにくい英語で投げやりに答える。
午前2時クアラルンプール。私は焦りまくっていた。
すでにフランキー・ナックルズはプレイを開始している時間である。
しかし、肝心のクラブが見つからない。
もうかれこれ1時間近く深夜のKLを探し回っているのだ。
メーターの料金はすでに100リンギットをこえている。
このまま探して見つからなかったってことになれば、何のためにKLに来たのかわからない。
この日のためにわざわざシンガポールからバスで北上してきたのだ。
タクシーはさっきから同じ区域をぐるぐると回っているが、いっこうにそれらしき建物は見当たらない。
交番のおまわりに尋ねても、誰もが首を振るばかり。
もしかして、住所とか名前が間違っているのではないか。
そんな不安が脳裏を過ぎる。
いずれにせよ、このままでは埒があかない。
「もういい、ありがとう。あとは自分で歩いて探すよ」
運ちゃんにそう告げ、タクシーを降りる。ブキビッタンストリートは人通りが少なく、既に大半の店のシャッターは閉じている。
歩いているのは稼ぎ足りないポン引きの親父と売れ残ったオカマの売春婦ぐらいだ。
マレー語とチャンポンの英語でしつこくつきまとうヤクの売人。当然無視する。
だが、もし今夜パーティに行けなかったとしたら…。一抹の不安…。
そうなったら、やけくそで女でも抱いてみるかという気にもなりかねない。
何としても最悪の事態は避けなくてはならない。
真夜中といってもKLは南国だ。
雨季だというのに、もう何日も雨の降らない日が続いている。
気が狂いそうなほどの蒸し暑さ。ひどく喉が乾く。
我慢できずコンビニでビ−ルを調達。
入り口にやけにスタイルのいい女。目線がねっとりと交わる。
とってつけたような巨乳。もちろんニューハーフに違いない。
「Excuse me. Where are the movementculb?」ベタな英語。駄目もとで訊いてみる。
小生のいったことを理解したのかどうか、こっちへついて来いみたいな合図。
やばい人に声をかけちまったかなと少し後悔しつつ、
ええい、ままよ!と彼女の指示に従うことにした。
複雑にいりくんだ迷路のような路地。3分程歩いて大きな駐車場に出る。
耳をすませば懐かしい鼓動の音。4つ打ちのキックだ。僅かだが歓声が聞こえてくる。
案内されたところは、巨大な体育館のような倉庫の前。
身長が2メーターほどもあるドラッククイーンのネーちゃんが仁王立ち。
足元をみると30センチぐらいの厚底のブーツを履いている。
間違いない。遂に見つかった。
10リンギットのチップを案内してくれた彼女に渡す。
「See you!!」踵をかえし足早に去っていった。
エントランスを入ると、出迎えるのはデカイ黒人の兄ちゃん。
欧米のクラブ並みの入念なセキュリティチェック。
はやる気持ちを抑えつつ、カウンターに荷物を預ける。
フロアはエネルギーが漲っていた。
2000人は余裕で入れるキャパシティ。
が、踊るスペースがないくらい人、人、人で溢れかえっている。
さっきまで一人孤独に街を彷徨い歩いていたのが嘘のようだ。
とにかく、大晦日と元旦とクリスマスが同時に来たかような異様な盛り上がり。
TV局のクルーも多く、ビデオカメラに向かって意味もなく手を振っている人もいる。
天井には直径5メートルぐらいの巨大な球体が吊るされていて、迫力十分。
落下したら確実に5人は死ぬだろう。(笑)
レッド、ブル−、イエローの様々なカラーのレーザー光線が空中に舞う。まさに光の芸術。
お立ち台は目立ちたがり屋のKLっ子で身動き出来ない状態。
中には、おぉ、マレーシアにこんな可愛い子がいたのか!っていうほどの逸材が。(嬉)
本当に目の醒めるような美女が、それこそ掃いて捨てるほどいたのには驚いた。
目鼻立ちのクッキリしたエキゾチックな顔立ちの子が多い。
おそらくマレーシア人と欧米人のハーフなのだろう。
全体的なハコの雰囲気はトワイロに似ている。
ハコの中央で踊っているお兄さんはほとんどがゲイの人。
NYによくいる典型的なムキムキのマッチョも少なくない。
イスラム圏国家マレーシア。ゲイは他の欧米諸国に比べてよりマイノリティな存在である筈だ。
普段抑圧された生活を送っているせいだろうか、彼らの熱狂振りは凄まじかった。
そういえば今夜のホスト、フランキー・ナックルズもゲイである。(多分…)
かってのサウンドファクトリーバーもこのようなパラダイスだったのだろうか?
残念ながら、私は当時の古き良きNYを知らない。
途中で地元のDJと何回か交代。結局FKが回したのは正味3時間ぐらいだった。
二日間連荘でFKを聴いたのはこれが始めて。
極めて密度の濃い凝縮されたプレイに食傷気味になるかといえば、全然そんなことはなく、
逆にFKの嗜好が自分の趣味と恥ずかしいいぐらい一致することに、いまさらながら驚かされる結果となった。
アンコールはURのジャガーとホイッスルソング。
(正直なところ、この2曲だけは聴き飽きているのだけれどね)
後半の展開は昨夜のシンガポールで回したときとほとんど同じ。
彼はやはりアドリブ抜きの計算されたプレイをするDJだったのだ。
KLではこのような大規模なハウスパーティはかってないものだったであろう。
だからこそ、今夜の宴はこの国のハウス好きの人達にとっては、よりいっそう特別なものだったに違いない。
その場に居合わせた私は、本当に幸せモンだと心の底から思ったのだった。
しかし、まさか東南アジアでフランキーのおっかけをやるとは夢にも思わなかったぜよ。
最初は冗談のつもりだったが、旅のスケジュールの成り行き上こうなってしまったのだ。
実際、アジアのリゾート地で体験するハウスパーティは、
東京やNYでは得られない独特の開放感があって一度ハマると抜けられない。
なんとなく現実離れしていて、夢物語の延長線上にあるようなシュールな気分が続くのだ。
旅の幾つもの思い出とともに一つのパッケージとなって、
まるで昨夜のことのように、いつまでも鮮明に脳裏に記憶されるのである。