†  Diary - 2003/08 -  †

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08 月 01 日(Friday)
 今まで涼しすぎたことで余計に暑く感じる今日この頃。鵜の細かい羽毛

が生え変わり始め、羽ばたくとその『白』が無数に舞う。庭の苔に絡んでは

掃除に難儀する時期が来た。

 夕方小雨がぱらつき風も程よく吹くがあまり魚を捕らえず。小ぶりの10数

匹に留まる。三重県や神戸からの御家族さん、常連企業のお連れさんには

茨城県・・・と遠方からの観光客が多かったが、ちと残念でした。風はあった

のでかがり火の炎は勢いよく燃えて臨場感は増したが、魚がいなかった。

 観覧席で鵜が羽を乾かしているのを眺めていたお客さんに言い訳・・・・。

僕が思っていたほどではなく、それなりに満足されてたのでほっとしました。

大企業の常連さんに鵜匠衣のまま座敷に呼ばれ質問を受ける。真面目に

受け答えしすぎる僕に常連さん、酒も冷めてく様子?対照的にそちらに接待

された他県からの17人の方達は勢いよく手を上げ 『はいっ!質問』 と連続

して挙手と、まるで学生を前にして説明してるよう。その好奇心と目の輝きは

とても嬉しいものでした。40代から60代の会社経営者の面々には見えず。

感動した!と握手と一緒に写真を撮らせてもらう。

『今日はちょっと堅かったんじゃない?』 と言われ、大勢のお偉いさんだから

と笑っては返す。この若さで口上を偉そうには話せない。幾度と試してみて

も話せるのは現在進行形の体験談、川の悪化の様子、鵜飼に纏わる昔話。

 その熱意が伝わる方は多くはないが、少なくもない・・・。



08 月 02 日(Saturday)
 昨晩はうちの家系のルーツを探るのに熱が入って一睡もできず。きっかけ

は関市の観光リンク内、刀匠さんのHP。うちの家紋である『隅切り剣片喰』

を探しているうちに先祖となる清和源氏の木曽義仲からの系図、彼が嫡子

として入った重長の系図などを追ってるうちに夜が明けてしまった。盆に近い

せいもあったのか。妙に好奇心に駆られて眠気もなかった。しかし腑に落ち

ないことが多すぎた。この件は近いうちに明らかにしてページに出す予定。

 最近ひどくかがりが下がって水に付きそうだったので船大工の腕を持つ

丸十の船頭に応急処置を施してもらいまして、明日にはかがりの枕をも付け

替えてくれると言う。大変ありがたい。

 鵜飼前につまらないことをお客さんにしゃべってしまった。『今日はあまり

期待しないほうが・・・』 楽しみを削ぐようなことを言ってしまいました。

 しかし好運にもなぜか多くの鮎を咥えました。40匹の魚で8割は鮎です。

3隻の鵜船で河原くじ(順番を決める紐のくじ)ではドベを引いたのに・・・

分からんもんです。

 



08 月 03 日(Sunday)
 今日は朝から地元消防団の行事が入っていた。今年は関市で県操法の

大会だったのですが、朝早く起きて鳥屋の掃除をしてると隣のじいさまが鵜

を1羽貸してくれと頼んできた。聞くと昨晩の鵜飼で、鵜を結ぶ首結いが切れ

裸で逃してしまったらしい。それで朝から船頭引き連れ船で向かったと・・・。

(ここはうちともう1軒の鵜匠から鵜を借りて鵜飼をしている。)消防の車庫へ

赴き経緯を話して暇をもらい、2羽の鵜を持って軽トラで急ぐ。鮎之瀬下の

淵で対岸にいるベテラン船頭が裸鵜に近づこうとするもすぐに川ん中へと飛

び込んでしまう。こちら側に留めてあった鵜船に乗り込み川を越し切る。

 2羽の鵜を絡げると安心して近くにやってくる。そーっと餌を手に近づいて

は逃げられ・・・の繰り返し。我慢比べである。賢い鵜はいつでも逃げれる

体勢で、加えて近寄りにくい場所に留まるから敵わない。

 しかし暑い日差し。帽子も持ち忘れ、汗がにじむなか鵜との追いかけっこ

経つこと2時間程。そのうち次第に馴れて手の届くところまで近づけるように

なった。反対側で誰か気を引いてくれれば手も出せるがしきりにきょろきょろ

して手が出せない。3時間もとうに過ぎ、今だ!と手を出した。手の平は空を

掴み、そして長良川の水をも捕まえました。激流の淵へとまっ逆さまにどっ

ぽ〜ん!コンタクトを着用してるので目が開けれず、上も下も分からなくて

焦ること数秒。その時間の長く感じたこと・・・。

 結局鵜は捕まらず。うちの鵜でなかったにせよ、やはり経験不足。父に後

から教わる。『お前も庭の鵜で知ってるだろう?羽を十分乾かせてやれば

すぐには水に入らん。もっと待たんとあかん。』・・・はい、勉強になりました。

今年は鵜捕り場崩落で新鵜が来ないかも・・・持ち主の鵜匠も気を揉んでる

だろう。明日も応援に行くつもり。自分の勉強の為でもある。捕まるといい。


08 月 04 日(Monday)
 うだるような暑さがやって来たが、これが夏本来の気候と言い聞かせ一日

の始まり。朝は鵜を出しそびれてしまい、結局水だけ鳥屋で浴びせてやる。

 鳥屋の掃除には毎日小1時間かかるので涼しくなってから出そうと思って

たが一向に治まらない。吹くのは熱風のみだ。日が陰ってきた3時頃外へ。

お客さんが丁度到着し鵜が羽を広げて乾かす様子に見入っておられた。

 手に筆をとり鵜を描くお方、さらにはすばらしい鵜の描かれた帯を巻かれた

着物姿の若い女性。ヤフーのオークションで手に入れたとか。若いのにすご

い目である。うちの女将も譲って!と言うと『駄目です・・・』 の即答。しかし

本当に立派な鵜でした。

 今日は3隻の鵜船が出る予定でしたが、朝カネモのじいさまから断りの話。

夕方鵜が目の見えない刻を狙って捕めに行くと。昼、遊船会社にその旨を

伝え、捕まることを祈って2羽の鵜を貸す。2隻での鵜飼に。

 鮎之瀬橋の下の欄干で松尾山からはぐれた1匹の猿が行ったり来たり。

涼みに来たのか高見の鵜飼見物かと目で追いながら上流へと竿をさす。

 こんな砂が多くなった川で、加えて浅川の無風。そのわりにはそこそこ鵜も

鮎を捕らえた。18匹。少ないが目うつりのいい大きさの鮎だった。上出来だ。

鵜を船縁に並べていると今日のお客さんが 『毎日、日記読んでるよ!』 嬉し

恥ずかし・・・。

 庭で鵜の説明をしてるとお客さんが庭外で鵜の鳴き声がするよと。不思議

に思って見に行きますと。貸し出した鵜があった。後で捕まえれなかったこと

を聞きまして人ごとながらとても憂鬱になった。僕も数年前までは一シーズン

に何十回と逃し、そりゃ飯もろくに喉元通らんし眠ることもままならない。

 蝉が夜通し鳴く、暑く淋しい夜である。


08 月 05 日(Tuesday)
 今日昼間の『いきりよう(湿度が高い意)』は半端じゃなかった。北の山、

南の方ともに発達した積乱雲で覆われてきたかと思うと台風の前のような強

い湿った風が吹き荒れ、雷の音・・・。結局雨は降らなかったが一部地域で

は相当降ったのだろう。長良川は泥濁り。

 今日も大勢客で賑わう小瀬鵜飼だが先日の件があって鵜船は2隻で行う

ことに。一向に濁りは冷めず、少しでもかがり火が届く浅瀬へ進路をとった

おかげでなんとか魚を口にした鵜と、それを目にしたお客さん。鵜はすぐ目

の前に逃げて来た魚のみを本能で捕まえただけ。5、6匹。

 鵜飼が終わって屋敷に戻り、鳥屋で控えの鵜達に餌やってたらカネモの

鵜匠さんから『鵜、捕まった!ありがとう』 の報告。本当に良かった。

昨日、一昨日と相当滅入っている様子だったし、その気持ち痛いほど承知

してた為、深くご苦労様と頭を下げる。僕も新米ゆえにいつ鵜が逃げるか

知れず、気が引き締められました。



08 月 06 日(Wednesday)
 今日も夕方いきなりのどしゃ降りで長良川は薄っすら濁るが昨日ほどじゃ

ない。通し鵜(鵜飼にシーズン通して連れて行く、いわゆるレギュラー)の

最古参の1羽の調子が悪く、代わりの控えと入れ替え。よって『隔て』の籠

に入れて持って行く。他の鵜たちがいつもと違うことを察知するのは言うま

でもなく、ハナから泳ぎが悪い。よって鵜飼中妙に鵜に引かれて僕も船頭も

普段以上に疲れた。鮎は20cmのいいものを6匹、小ぶりが10匹でした。

 泥濁りにならなくて本当に良かった。しかし鵜を担って帰る時は足がぱん

ぱんでした。これは今日の鵜飼には関係ないが、朝鳥屋を掃除してたら何

かに足の甲を噛まれたのですが、かなり痛かったんです。潰して見ると小

さな蟻ん子でした。山椒は小粒でもぴりりと辛い?或いは1寸の虫にも5分

の魂か・・・。次第に腫れて夜には赤子の足のようになり、歩くのもままなら

ないので只今氷で冷やしている。



08 月 07 日(Thursday)
 朝、パンパンになった重い足を引きずりながら鳥屋へと向かう。いつもの

ように神棚の前にてお辞儀をしてから鳥屋へと入り、鵜の前では何気なく

装うよう気をつける。子供も夏風邪ひいたことあって共に大前医院へ行くと

先生、蟻に噛まれてこの腫れ様?さらにうちの坊主が今までとうって変わっ

て大人しく口を開けたりするなど泣き喚かない様子に驚いてました。坊主を

家に帰してから点滴打ちに来るようにと。

 帰ると魚田さんが着ておられた。今日は今までで鮎が一番悪かった。

先日美濃市で三度目の夜網があったのだが全艘で十数枚と漁は振るわず。

捕れた鮎は9割がたビリばっかりだったとか。よって市場で購入してもらった

のだが・・・長良川の鮎とはいえイマイチ。特に塩焼き用の大きい鮎2枚が。

今日昼間も知った顔の川猟師らが網をうってたが夕までに7匹ほどしか捕

れてなかったし・・・仕方ない。

 夕方お客さんが始まる前に永昌寺で大施餓鬼。足立家の先祖供養と鵜飼

施餓鬼を最初にやってもらい、読経中のおっさまに一礼。早々に退席させて

もらい鮎焼きに戻る。

 お客さんの前に今日の鮎を1匹自分で焼いて食すとやはりいまいち。かと

言って、魚田さんが選んでくれたそれでも今日一番の鮎。毎日いい鮎とは

限らないが今までがずっと良かっただけにかなり憂鬱に・・・値段もけっこう

いい。昔から鵜飼漁で生き延びてきたうちの家系も、今や美濃の良い鮎をお

出しすることでのお客さん商売が生きる綱。今の僕には鵜飼と同じ比重。そ

の気持ちを載せるべく焼き鮎をもう1匹、すべてのお客さんにサービスでお

出しする。食事後、やはりお客さん味に肥えた方が多いので 『今日の塩焼き

はちょっとまずかった』 ・・・さらに憂鬱に。ナイーブな僕、夕飯ろくに喰えず。

 鵜飼。足のことがあって今日は8羽と鵜を減らしましたが・・・軽すぎた。握っ

た感が物足りず、手縄が抜けそうでした。鮎十数匹。鵜飼終了と共に台風に

備えて船を堤防上に引き上げる。そして以後数日のお客様お断りさせて頂く。

骨折って魚田さんに仕入れてもらった今日の鮎でしたが、とりあえず今日の

話を電話で伝える。川の状態が悪く鮎も捕れないのだが・・・。年に5、6回は

あること。今までの長良川の不漁に関わらず高くてもずっと良い鮎が揃えれ

たのが不思議なくらいである。

 しかし心身共に疲れました。再び、ご先祖様に感謝。


08 月 08 日(Friday)
 台風10号がかすめるという。

朝から庭の大きな松やヒバが倒れないように縄で引っ張ったり木で支える。

以前瓦が抜け落ちた母屋横の軒を応急処置。屋敷内の道具をすべて片付

け、最後に嫁と川べたの駐車場にある鵜飼用の松の移動。

来なければいいが、たぶん来るわな。川もきれいになることだろう。砂を流

してくれるかな・・・。

 朝方ごみ置き場の帰りに寺のおっさまに会う。今系図を調べているので過

去帖を見せてもらえないかと尋ねると、仏壇の戒名を全部書き出してお盆が

終わってから持って来なさいと了解の言葉を得る。


08 月 09 日(Saturday)
 台風一過。昼過ぎて晴れ間が広がりました。庭は葉っぱが散乱。押し込め

られてた鵜達もやっと庭で水浴びできました。

 さすがに台風の大雨で長良川も洪水となったが思ったより雨も降らず、

階段のてっぺんまでは水も来なかった。川沿い、堤防の道には大きなタモを

持って『濁り突き』で鮎を捕らえる人が多く見られた。

 多い人では数百もの鮎をしとめていた・・・僕はせっせと庭片付けに池の掃

除。明後日からは鵜飼ができるだろうか。その日は多くの鮎を咥えてお客さ

んも喜ぶことでしょう。楽しみだ。


08 月 10 日(Sunday)
 今日もまだ鵜飼は出来そうにない。からっとした如何にも夏らしい気候で

雲一つない。じりじりと日差しが照りつける。

 福井県から車で両親がやって来る。嫁と坊主を三国町へ遊びに行かして

あげなさい、と母。今海でいい鯵(アジ)が捕れるのだが台風で駄目だったと

大きなスイカやらぶどうやらたくさんのお土産をいただく。その矢先興奮した

坊主が川からの石段の上がり端で倒れ、口から血を出して泣き喚く。

 鵜飼がないのに大勢のお客様に来ていただけまして、食事後、庭で説明

し鵜に餌を与える。関の刀匠さんの御家族の姿もあった。留学生らしき姿も

見られ 『解るかな?』 と思いつつ下手な説明続けていると、その中の一人

が丁寧に通訳しておられた。

 4月から予定してたというお客さんにも満足してもらえ、『是非また鵜飼を

見に来ます』との言葉を頂戴。不思議と鵜飼がないほうが満足してもらえる

ことが多い。僕の説明の上手下手ではなく、違った説明やら光景が見え喜

んでもらえるようであり、本当にありがたいことです。



08 月 11 日(Monday)
 今日も鵜飼は中止となった。水位が高いので手こぎの屋形船の安全運行

が出来ない為であるのだが、鵜飼船だけでも出して河原から見せるだけで

もしたらいいのに・・・と思う。来年役員会で提案してもらおう。

 小ぶりだが魚田さんになんとか揃えてもらった長良川美濃近辺の鮎。大き

な鮎が捕れなかったので塩焼きは2匹当てに。今年は本当に鮎が捕れない

ので市場にもほとんど美濃鮎は数が出ない。魚田さんのところに持ち寄られ

る貴重な美濃鮎で綱渡りの状態。この後1週間どうなるのだろうか?盆前で

値段も吊り上がってくるのは間違いないし、長良川の水位は網漁にも友釣り

にも高いし・・・。お客様をお断りすることになるやも知れない。

 こんな思いで魚田さんと共に悩み、苦労して長良川美濃近辺の天然鮎の

みを仕入れお出ししているのに、今日のお客さんの言葉で撃沈した。

 『こんなの本当に長良川の鮎かどうか解らん?』とお手伝いさんが聞いた

らしい。魚屋さんと気まずい思いまでして、苦労して仕入れているのに・・・・

はぁ〜・・・・・・。30分ほど椅子に座り、窓に写った自分をぼーっと眺めては

思いに耽る。『こんなことならいっそこだわらず、どこの鮎だろうが使用して

も一緒か?』 結局は自己満足なのかとかなり悩む。

 しかしながら6,000円という大金を頂いて遠方よりわざわざ食べに来てい

ただいているのだし、認めていただいているお客さんの方が多い。同じよう

な料金で養殖鮎や他川の鮎を使用してるところはごまんとある。

 自信を持って庭で鵜と長良川の鮎の説明を1時間余りに渡って行う。

余談ではあるが、長良川の天然鮎は確実に減少し味も落ちつつある。言い

たくはないが、料理店こそ現状を言わなくてはならないと思っている。

国、岐阜県並びに行政は『一級河川』の名に、未だに浸っている。この10年

の水の減りよう、砂の増えよう、鮎の減りようは尋常でない。季節が終わっ

てみれば 『今年は水位が例年になく高かったため・・・鮎の漁獲高は最低』

と誤魔化されるだけだろう。目隠し続ければ長良川は莫大な自然遺産を失

うことになる。(あくまで料理人としての言葉である。)


08 月 12 日(Tuesday)
 今日は鵜飼があるというが夕方まで船は堤防の上にあり、船着き場は淋し

いかぎり・・・と、長良川の水の流れを眺めていると淵で群れになって鮎が飛

び跳ねている。そこへ隣の『橋から網を投げる名物』おじさん?がやって来

て30匹ほど捕らえていた。

 しばらくすると土手に車が一台停まり老夫婦が何やら抱えて川上へと歩い

ていった。数分後戻って来て 『線香立ててもよろしいか?』 と尋ねられる。

どうやら7年前に川で溺れて亡くなった息子さんの供養。気の毒なことだ。

当時の様子をしばらく聞き、その供養とす。

 夕方、僕も仏花を持ってお寺へ。急いで帰って船下ろしの準備にかかる。

上流へ着いて瀬を眺めると川の地形がさらに変わっていた。大水が出る度

に悪くなっていく・・・。

 今日はうち1隻の鵜船。久々なのに淋しい廻し場。船の中、鵜を1羽ずつ

診ていたら山の上に広がる真っ赤な夕焼け。台風の過ぎ去った後だからか

やけに鮮やかで、しばらく見入ってしまう。


ちょいと川が大きかったせいか、かがり棒が高くなったので気になったのか

鵜が久々の出番のせいか・・・いまいち泳ぎが悪かった。そこそこの型の鮎

十数匹にとどまる。あとは雑魚。期待は大きくハズれた。

 台風10号のおかげで鵜もしっかり休めた。長良川も美しくなった。

15日の盆休みを除いてしばらく忙しくなる。明日からしばらく3隻の鵜船が

出揃う。盆も殺生である・・・。


・『丸十』の船頭藤井さんが真新しいかがり棒を作って持ってきてくれる。
(先日舳先の枕も取り代えてもらう)


08 月 13 日(Wednesday)
 片手に芋焼酎を提げて宇宙人さんとその御家族様が来店。遊船にはひま

わりさんも浴衣着てご一緒されてました。

 今日のお客さんの中には鵜飼が終わってから郡上踊りに向かわれる方が

多く、宇宙人さんの弟夫婦と妹さんも同じくその徹夜踊りに行くんだとか。

 鵜飼の廻し場。宇宙人さんは行かないと言われるので、『じゃぁ一緒に飲み

ましょう』 とゆう事に・・・ほぼ強引になりました。(もちろん僕が、です)

 鵜飼では鮎もそこそこ咥えお客様らも満足されてました。庭でも説明をし

鵜を寝させ、よし!飲もうとするとお座敷からお呼びがかかりお話をしに。

 かなりお待たせして観覧席で待つ宇宙人さんらのもとへ。妹さんも足止め

されてまして、親父さん、ひまわりさん達と楽しい酒の宴の始まりである。

 お土産に頂いた『紫』という名の芋焼酎。焼酎自体あまり飲んだことが無い

のだが、楽しい話のせいかするすると喉に入っていく。実においしい焼酎で

紫芋で造られたものらしい。

 親父さん、生まれは九州と見える。『飲み助の顔しとるでか?(笑)』 『本当、

そう!(笑)』 実際は飛騨出身で、母の代までは合掌造りの大屋敷に住まわ

れていたそうである。なるほど、あちらは『どぶろく』があるし・・・やはり飲み助

の人種だ。『私も頂きます』!?ひまわりさんも同じくストレートで飲むんだと。

どうやら彼女もかなりいける口の様子。

途中、妹さんから鵜を何羽飼ってるか?の質問。24羽と返し、酒も入ってる

ので 『24の瞳に・・・』 と続けようと思ったら、侮るなかれさすが宇宙人の妹。

予知されて先に言われてしまった。

 1升瓶が底を尽きかけたところお開き。本当に楽しかった。ただ、表まで皆

さんを御送りしてからが大変でした。鵜匠依を脱いで家に上がってからトイレ

で鵜の真似。成果は今日の鵜飼なみ・・・。便器抱えたまんま寝ちゃいまして

『あんた何でここで寝とるの〜!?』 後から母と姉に救助されました。


08 月 14 日(Thursday)
 しかし今年は雨が多い。戻り梅雨だとか。夏らしい気候は来ないうちに秋と

なってく。庭じゅう小さな蛙がぴょんぴょんやってる。

 夕方にさしかかると雨脚はさらに酷くなって来た。裏の駐車場で薪割ってる

と自転車乗ったじいさんが雨宿りに入るほど。しばらく止みそうもない。川は

次第に増水し、お客さんに鮎焼いてると鵜飼中止の連絡が入る。

 食事後鵜飼のビデオを見ていただき、突然の中止となった為、鵜飼の説明

もさせてもらう。ちょうど説明が終わってお客様がお帰りになられる時、皆さん

を今一度呼び止める。雨が止んでいるので庭で鵜に餌を与えるのをお見せ

出来ますと。皆さん喜んで庭へと来られる。終わると同時にまた雨が・・・。

 運が悪いのか良いのか、今日のお客様。

 


08 月 15 日(Friday)
 今日は終戦日、8月15日。この日はお店も休みである。昨日の雨で鵜飼

も中止となった。涼しい日でした。

 夕方突然、有名な鵜飼写真家が叔父にあたるという若きカメラマンがみえ

『小瀬の鵜飼で総がらみを撮りたい』 と。あいにくここでは叶わぬ事だと教え

ました。鵜飼の写真集を手がけた方を血縁に、また同じものを撮るつもりな

らその歴史や背景を勉強なさっていることと思ってましたが、当らず。

 古田さんもご存知無いようだったので一度面識を持たれたらと促す。30分

程お話させていただきましたが、単なるアマチュア、或いは趣味の方では無

さそうでしたので、安易に構えてもらっちゃ困ると思いました。

 先日古田さんからお聞きした話・・この間知り合いの写真家がこんな事を

言ってきた 『岐阜の河原で鵜匠さんが河原で石を枕に転がっておられて

いかにも絵になっていた。よって写真を撮っておると‘安気に休むことも出来

んわ!‘と怒られた。どう思うかね』 と。そこの返しはこう・・・

 『あんた前もって一言声をかけるとかはあったのかね。仮にも伝統文化を

担っている人達。職人気質もあろうこと。まして鵜飼写真をちゃんと撮ろうと

するなら歴史認識もしてなくちゃ、話にもならんのではないですか』 『そう言

われてみると・・・』 

 これはあくまでプロ(職人)の人におけること。取材記者、カメラマンなどは

第三者に見せる媒介ではなく、それをしっかり伝えようとするには本人もそ

れ相応の知識は必要でしょう。特に僕のような半人前の者ならば尚更・・・。

 今日の若いカメラマン。この様なことをしばらく丁寧に話す。感じてもらえた

のかそうで無いのか、その後 『ちょっと鵜飼の説明してもらえませんか?』


 深夜、筑紫哲也のテレビを見てたらその一シーン。おじいさんが 『あの日

は本当に暑い日やった・・・』 心に重く響く。景気低迷。リストラ。自殺者の増

加。少年犯罪。片や軽い政治家の発言や嘘のように決まっていく有事法案。

 自衛隊に入って戦争の準備しろと聞こえなくも無い。と、それは冗談だが

今年の冬に見つけた軍事郵便の束。理性を持って書き通してはありました

がその中にある世界と当時の哲学には騙されて近寄りたくはない。


08 月 16 日(Saturday)
 今日は久々の二部鵜飼となりました。依然長良川の水位は高い状態が続

いてる。こんな川で御料鵜飼をやれたら気持ちいいだろうな〜と船頭と会話。

 一部が終了。水が高いのでけん引用の船を遊船と並んで待つ間、下の山

合いから覗く武芸川の花火を見ながら一服吹かす。霧雨が降りだした。

 咥える数はさほど多くはなかったが大きなウグイを咥えたり、要所をえる。

20匹ほど。途中3回吐かせ損ない貴重な鮎を流す。まだまだ未熟・・・。

 小雨降る中、浴衣着た若い2人のカップルが庭で鵜をまじまじと眺めてる。

鵜の羽を鳥屋で乾かさないといけないので、写真を撮ってあげて少しだけ

話かける。小瀬の鵜飼は初めての様子で、人から話に聞いて来たとか。

若い人にもこうして足を運んでいただけるのは嬉しいこと。興味が湧いて

行動に早く移せるのが『若さ』。そして経験に繋がるというもの。僕はこれで

かなり大変な思いをしましたが・・・。こんなことを言っちゃ怒られるが、鵜飼

の鵜は田舎の年寄り連中のようなもの。目新しい変化を嫌います。また、

なまかわ(怠惰)憶えたら下のもんもそうなってまう。

 鵜飼開始の提灯を待つ間、小瀬で一昔前まで行われていた祭りの話を

うちの中乗りから聞く。今でも大きな和太鼓が小瀬に10〜20残っており、

大きな山車もあったそう。担い手の若い衆あまりの重さと関市までの往復

に嫌気がさして、途中田んぼの脇に放って休むことがあったとか・・・。

 耳を劈く太鼓も加え、それはすごいものだったらしいが昭和天皇が即位

された時を最後に姿を消した。数年前に一度復興の話も出たらしいがこの

地区の閉鎖性故か持ち上がらなかった。今は関市の祭りに乗じた格好の

子供を中心とした祭りとなっているのみ・・・。

 大人のそうした荒々しさを見せるのは大事だと思う。地域性を残すそして

村一丸となって『楽しめる』行事を無くしたとは小瀬の大きな損失だ。


08 月 17 日(Sunday)
 鮎が多く捕れない日が続いている。型が揃うはずもなく塩焼きの鮎なんか

は特にそう。1匹では淋しい大きさのものが目立ち、2匹付けが多くなった。

 明日以降も多くのお客様がみえて休みなしが続くが鮎だけが心配で・・・

居ても立ってもおれず夜中に魚田さんに再度電話する。いつもは奥さんと話

してるが電話機取った若大将としばらく鮎の話をさせていただく。

 『いまのところまだ長良川の鮎は数枚程度。他川の鮎はちょっと入ってきて

いるがこれはそちらに持っていけないし。(この間は長良川の鮎を買ってきて

もらったにも関わらず状態が悪かったので『これは使えない』と10枚程返品

して大変ご迷惑かけました。) ばあ様がこんな年はないと言っていたが10

年程前の冷夏の時もこんな感じやったと思う。ただ長良川の天然鮎の絶対

数が格段と減ってきてるからその時の比じゃないですね。』 と。

 あと数日で天気は落ち着きそうだからとお互いに慰め合いました。先日の件

を謝るともうお気になさらずと。 『なんとかなると思いますんで頑張りましょう。

今後とも末長くよろしくお願・・・。』 先代と変わると長いお付き合いになること

だし、うちの生命線でもある魚田さん(そのわりに文句が多く申し訳ないが)。

こちらもまるでいつもの女将の電話応対のように何度も深々とおじぎして礼を

言い受話器を置く。

 明日のお客様は多数お断りすることになるかもしれない。鵜飼も今夜はぎ

りぎり出来た状態で明日もできるかどうか分からないし・・・。

 しかし今年の長雨は一体全体どうしたものか。経済的な影響は広く及んで

いる。いいのは大阪だけか・・・阪神タイガース。嫌いじゃないけど。


08 月 18 日(Monday)
 雨、雨、雨。水の減りが少なく、降ったぶんだけ水かさが増す。異常な気温

の低さに加えて保水力の落ちた山々に蓄える力は無い。どしゃぶりでもない

夜の降雨により鵜飼は出来そうもない。早朝から中止と判断でき、お客様に

お断りの話をする女将。

 最近、美男葛(ビナンカズラ:ツル科の植物で秋に真っ赤なつぶつぶの実を

下げる)の花が池の周りにいっぱい落ちるので掃除してから鵜を出すのだが

今度は鵜の羽毛の落ち方が酷くなってきた。羽を存分に洗った後、乾かして

から毛繕いするのだが、足元が皆真っ白になるくらい落ち出した。

 夕方藍川橋のたもとにある燃料屋へ鵜飼で使用する松割り木を買いに。

ほぼ観光化されているものの、関市と遊船会社からの補助は丸々鵜の餌代

に消えてゆき、管理費、材料費等もろもろの経費は自腹となっているのが

小瀬の鵜匠の現状である。昔からの鵜の飼育方法が残り絶やすわけにも

いかず外部で仕事を持つことも出来ない。松割り木は高いし安価な雑木でも

いいのだが、やはり炎が違う。脂があるぶん雨にも強い。

 よって鵜が水中をよく見渡せるので鮎の捕れる量も変わってくる。自腹切っ

たり、お客さんと語らったり、鵜にどれだけの力を注いでも今の遊船会社は

全く評価してくれないのは父の代でも同じ。5 ,6年前頑張っては馬鹿な目ば

かり会う僕の姿を見た父。自分と重なったのだろう・・・『力を入れれば入れる

だけ、本当にお前がますますみじめになるだけやぞ。今の鵜飼、お客さん、

周囲の目はそこまで認めてくれはせんて。』 想像通り、余計に反発しては

‘どつぼ‘に陥りましたが、小さくとも少しづつ、一握りの人の心に評価をいた

だいていることをお聞きして今に続いている。感謝。


08 月 19 日(Tuesday)
 ちょっと酔っ払っている。小学生時分からの腐れ縁のなすお君がお互いの

両親連れて来客。その後飲みに連れてってもらい只今良い気分。先日の宇

宙人さんの土産焼酎の楽しい思い?あって今日も焼酎。ずっと付き合える

のはお互い昔と変わらないでか、変わり者だからか・・・。

 
 久しぶりに暑さが戻った。鵜は3時頃まで鳥屋の中で一度水をかけてやる。

結果2羽の鵜が調子を崩す。羽が乾かなかったようでしきりに咳をしている。

『コホン、コホンッ・・・』 いずれも通し鵜(レギュラーの意)だったので自分の

行動を悔やむ。メンバー変えて今日の鵜飼に・・・。

 うって変わって夕方の涼し過ぎる風。ただその風にかがりの火も勢いよく

燃え、大きな鮎をいくつか咥えました。御料の日を控えて数日前から餌を減

らしてある反面、首結いの紐を緩めてあるので鵜の腹もそこそこ満たしたよ

うである。鵜飼終了後、鵜の重さをみてホッケを1匹ずつ足す。

 
 


08 月 20 日(Wednesday)
 今日もまた貴重な『夏』らしい、汗ばむ一日となる。昨日体調崩した鵜も元

気になっており、加えて長良川も高水位で御料鵜飼は期待できそうでした。

 今日の鮎も例年のこの時期に比べると小さめだったが、良い鮎。近辺で鮎

漁してるお客様もみえましたが、いい鮎だと喜ばれて食べておられた。

 その矢先に大きなサイレンの音と共に大きなレスキュー車や救急車が橋を

渡って行く。大変残念なことに人が流された様子である。1時間後にここから

数キロ下流で発見されましたので鵜飼は行えることとなり上流へ。

 焚き火して暗くなるのを待っていますとそこへ御料場係の父の車が・・・。

お連れした式部官の報告は予想通り、御料中止の連絡事項だった。鵜の首

結いを緩めに縛る。わざわざ小瀬まで御足労かけたのに申し訳なく思って

いると先輩鵜匠が 『この方は初めて来られたんだし、乗せてあげたら』 と。

御料が出来ない、と気落ちした船頭らにも了解を得てお乗せする。

 強い風にかがり火もなびき、後ろで 『あちっ、あちっ・・』 と時折耳に入って

くる。迫力ある鵜飼にお客様も喜ばれ、御料が無かったので鵜を片付ける

ところもお見せできました。式武官の方には少々ご迷惑をおかけしましたが

それでも貴重な体験をさせてもらえたと喜ばれる。

 屋敷に戻ると常連のお客様がどーしても鵜が捕った鮎が食いたいと言うの

で、父にすぐ焼いてもらう。控えの鵜に餌をやり焼き場に戻ると、丁度お皿に

盛り付けられたところ。鵜匠着で座敷に赴きまして来てくださったお礼を申し

『本来ならば今夜の鮎は宮中への献上すべきものですが』 ともったいぶっ

た後、わずかばかりの鵜鮎を振舞う。今日の鮎20匹。


08 月 21 日(Thursday)
 今日の鮎。いい鮎だったがまだ水が高くほとんどは釣り鮎で、例年と思うと

今の時期にしては小さめのが目立つ。尾びれに濃いオレンジ色を帯びたき

れいな鮎だ。僕が食いたいくらい・・・(笑)。

 今朝がた町内(2番町)のお年よりが御亡くなりで今晩はお通や。僕は鵜飼

女将は料理。結局嫁に行ってもらう。彼女は今回が町内行事の初デビュー。

会う人、会う人に 『どちらさんやな?』 『十の字の嫁です・・・』 あるいは周り

でじいさんばあさんがこそこそ話。聞こえて何度も 『十の字の・・・』 とツッコミ

入れてたようである。ご苦労様。

 これからは大きな鮎を捕らせないといけないので餌減らして首結いを徐々

に緩めている。結果今日大きな川鯉を2匹咥え、お客さんも大喜び。鮎は10

ほどだったが半分は鵜の胃の中に直行しました。

 このところ帰って庭で鵜の質問を受けていると、ほとんどのお客様が茨城

県十王町にある鵜捕り場の陥落のことをご存知で驚きます。小瀬鵜飼の存

在よりは確かにメジャーだろう。だってそこから鵜が来てると聞いて驚かれる

んですから。余計に広め甲斐があるってものか?。そんでもってうちの坊主

も貢献?お客さんに『トイ君、ずーくー代目、ずーくー代目。うしょー』 ・・・・。

 
 嬉しい半面、これからの時代本当に存続できるか予見は出来ず、遠い目

で子の顔を眺めてもしまう。今は子供の振る舞いで笑えるのだが、将来彼が

大人になってからその時の鵜飼に満足できるものは無いと思うし、満足でき

てしまってもいけない。それが観光として再興した鵜飼か否かの違いか・・・。

 明治時代に鵜飼の存続が危ぶまれうちは一度破産しかけたこともあった。

家財を投げ打って今も鵜匠として在ることが出きるのだが、長良川の天然鮎

のみの料理で生き延びるうちにこの先未来はありそうも無い。

 この岐阜県の政治を現在見ている限り、あまり長良川を愛する人間は皆無

の様子。高速道路、その他建造物の建設によってもたらされた利益も一過性

のもので、観光客も同じように通過してしまう『道』の県にならないことを望む

今日この頃・・・。

 長良川は岐阜県の『血管』であり、『欠陥』になってはならない。


08 月 22 日(Friday)
 今年は暑い日が来ると何か嬉しくなる。数少ない貴重な真夏日でした。

フランス人が聞いたら 『あほ言いいんせっ!』 と怒られるだろう・・・。(今年

フランスは酷暑で1万人以上の方が亡くなられたとか。)

 ここ数日暑さを待った蝉達が数種類入り乱れて鳴いており、山に入ると耳

がおかしくなりそうなくらいだ。ジー、ジー、ミーン、ミーン、ツクツクボー・・・。


 朝、朝食を済ませた家族連れのお客人に鵜の説明。この1ヶ月は夏休み

もあって子連れの御家族さんらが多く、しかも鵜飼が初めての方達ばかり。

結構インターネットを利用してる方が多いみたい。よくぞ見つけてくれました。

嬉しくってつい話も長くなってしまった。

 今日は37度近くになるとの予想だったし、朝から暑かった。早めに鳥屋の

掃除を済ませ鵜を小屋へ戻してやる。女将は寺へお葬式の手伝い。嫁は子

を連れ八百屋と花屋へ。帰って来てから嫁が花生ける間、坊主の相手す。

 昼過ぎると鳥屋の中も暑くなってきたので、鵜を籠に入れて母屋の軒下へ

並べる。鮎を仕分けてから、横になったら4時まで寝てしまった・・・。

 急いで鵜飼の準備。薪割ったりしてもろもろの準備。西日に照らされ輝く

眩しい長良川。多くの釣り客のシルエットがあった。

 今日の鵜飼漁。成果は鮎15匹。鵜の胃にも10cm未満の魚が同数入っ

た様子。

・台風10号により七つ岩の下がかなり浅くなっていた。川底の生地は砂が

流れて美しくなってはいたがやはり石が細かい。この10年で砂があるのが

当たり前になったように、あと数年経てば石の細かさにも驚かなくなるか。


08 月 23 日(Saturday)
 短い夏の思い出になろうか。坊主をどこにも連れて行けないため、庭に

プールを引っ張り出して水遊びをさせてやると家族はもちろんのこと、お手

伝いさんや遊びに来た従兄弟は悪魔?の手招きに唆され皆びしょぬれだ。



 鮎を開いている真っ最中にお泊りのお客さんが早々と1時半に到着。

冷房もまだ効いてないので観覧席で休んでてもらう。あまりの暑さに鵜も軒

下の籠の中で休ませてあり。その鵜と目があった!と喜んでお手伝いさんに

話してみえる。

 今日は3人様から10人様のお客さんで70人近く。鮎焼きに追われている

と飛び入りのお客さんが多数来店するも、鮎も場所も無く30人程お断りする

ことになる。塩焼きの後は暑いせいか、味噌よりもしょうが焼きのほうを選択

される方が多かった。にしても今日の釣り鮎は最高だった。塩焼きは20cm

余りの大きさでベストサイズ。脂ものってきた。焼き場に追われてしまい鵜船

も先に行ってるだろうと車で送ってもらおうと思ったら、文句言いながらも待っ

ててくれてて申し訳なかった。急いで上流へと竿をさす。

 日の落ちるのがいかにも早くなった。辺りは既に薄暗く、着くなり鵜を絡げて

3人の艫乗りがくじ引き。2番手。そこそこ捕らえましたがから揚げほどの(11

cm)鮎がほとんどで、喉元に留まった魚はわずか10匹。お泊りのお客さん

庭で鵜の説明をして写真を皆さんと撮った後、お泊りのお客様が鵜の捕らえ

た鮎を是非食べたいとおっしゃられたので、6匹ばかりでしたがお食べになら

れました。




08 月 24 日(Sunday)
 お昼のお客様の中に1人蒲郡からみえた上品なおばあさん。食事後鵜飼

の話を聞きたいと言われ、観覧席へ向かう。先日大勢さんで泊まりにみえた

そうであるが、現在鵜飼について執筆中につき鮎料理を食べがてら聞きに

こられた。それも遠方からわざわざおいしい箱入りのみかんを土産に・・・。

お年を召された方で行動力のある女性は素敵である。

 長良川の水位も平水になり、水もきれいに澄み渡る。それに伴い魚影は

見えなくなってきた。夕方上流へ船を出す間際に、お客さんを船へと送り出

す女将と坊主。乗って行くと聞かない為に乗せていく。

 後から誰か迎えに来ると言ってたのに一向に姿は見えない。廻し場に着く

なりズボンはびしょ濡れになり脱がせてやる。あっという間にあたりは暗闇。

もう迎えには来ないらしく鵜飼の船に同乗。今日は風も吹いてなかったので

良かったものの、もし風あらばお尻丸出し部に次々と火の粉が襲い、しばら

くは 『もう、乗らん!』 と発していたことだろう・・・。

 船の最後尾、艫乗りの前に山側向いて船縁につかまっている。船頭が船

を叩くからだ。お客さんの船からはタンクトップに尻丸出しの坊主が 『ホー

ホー・・・』 と言う姿が妙に面白かったらしく、くすくす笑われていました。

 10匹ほどしか鮎は残らず、あとは小さなものばかりで鵜の腹へ。それで

も喜ばれ、庭で説明をお聞きしたいと。毎年みえる女優さんも少しはまとも

に話せるようになった僕の説明に深く頷いては写真を撮られておりました。





08 月 25 日(Monday)
 朝から丁稚が入る。鵜を出してから一緒になって鳥屋の掃除、昼かんかん

照りのもとで池の掃除、薪割り・・・。鵜を籠に入れて嘴の手入れの様子など

も見せる・・・実は遊船船頭より一日の体験学習にと息子さんを頼まれたの

だが僕も忙しくて手とり足とり教えてやるわけにもいかず、相手も中学生だ。

子供扱いもできず僕の真似してやらせる。鵜匠の仕事に限らずいろいろな

ことをやらせる。うちの坊が今日も船に乗りたいと言い出すが、彼を乗せて

やらないといけないので何かと理由つけて断わる。

 中学2年生といえども70kgと僕よりかなり目方があり船も重い。せっかく乗

るんだから鵜が魚咥えるところを多く見せてやりたかったが振るわず。細か

なものばかりで、1匹見映えのいい鮎がいただけの今日の鵜飼。

庭で鵜を片付けていると、ちょこちょこっと走って来て『有り難うございました』

飯食わしてもらったんだから女将にも言っとけよ、と言うとまたまた厨房へと

駆けて行き礼を言い帰って行った。なかなか律儀な奴である。

 僕も何かと助かりました。



08 月 26 日(Tuesday)
 土日のように糸の絡まりそうな多くの友釣りの姿は少ない。平日だし雨も

降っている。またしばらく雨が続くというが、今年の日照時間の少ないこと。

 6、7月の鮎はどこに身を潜めていることだろう。やはり予想通り。この時期

今の川の状況では捕れない日が続いている。

 今日の長良川の水温はやけにぬるかった。鵜飼開始。廻し場から出るとき

いい鮎を5、6匹咥えて、後は真ん中で数匹。しかも途中で吐かせ損なって

お客に 『あっ!落ちた・・・。』 と言われてしまう。下見に来ていた日本テレビ

のスタッフ、『今日取れましたか?』 ここ最近は少ないですねと答えますと、

『正直、実際普段は何匹捕らえるんですか?』 何か馬鹿にされた思いもした

が、いいところだけをいかに写すのか、或いは判断するのが彼らの仕事。

ニュースとは違うのは解っている。しかし一度でいいからこの長良川が砂漠

化していく様子を捉えて欲しいと願う。河口に近い方から段々と川の匂いが

鼻に付くようになってきている。

 鮎の姿形は川の違いだけでなく場所によっても幾分異なる。

大まかに言えば下流域、中流域、上流域だ。そしてこの辺りが中流域に当り

文献にでも出てくる俗に称す『小瀬丸』。いくつもの瀬を上り、そして山合いに

大きなトロ場もあり、鋭い頭、尻尾とは対照的にまるで鮒のように腹だけが広

い鮎だ。ただ、長良川の水量減少に伴い(1mほど水位が下がった)加えて

山の保水力が下がったためにおこる鉄砲水により、本来激流の瀬は抜け落

ちて『だだ瀬』に。そしてとどめは工事によって発生する土砂だ。普段目にし

ない都会の方からすれば美しい川である。小瀬丸のような鮎が少なくなった。


 観光の鵜飼となったが正直相手はお客さんではなく、自然である。自然が

汚れればそれを満喫しに来たお客さんの反応も悪くはなろう・・・。

 暗闇のショーに五感は冴える。川の匂い、鵜の泳ぐ姿、咥えた魚は一目

瞭然の鵜飼。だから鵜飼終了後の説明には現在の長良川の状況を長った

らしく話してしまう。ただ、今日のお客さんのように2週間前にいらした方が

『この間は本当に実にいい話が聞けました』 と再びみえ、お聞きできるうち

はまだ良いか・・・。それは知ろうとする人間に留まり、大抵はお年寄りか若

い人間である。ちょいと偉そうなお方は、更に偉そうなことを話す僕の言葉

は届きません。真剣に話すんですがね・・・。


08 月 27 日(Wednesday)
 今年最後の御料鵜飼の日であった。写真家の古田さんがみえるか連絡し

てみると奥さんが電話を取られた。そろそろ着く頃だと・・・。前回の御料中止

そして最終日の今日。やはり意気込んでおられていた。


 先日とある大学の先生に説明を鵜飼終了後に頼まれていたが今日は出来

そうにないので、夕方観覧席にて鵜匠のかっこうして行う。大学生の子達と

聞いてはいたが、まだ随分とあどけなさが残っていました。

 御料鵜飼。普段より一瀬上の廻し場で鵜飼の準備をする。焚き火して待つ

間にちまたで耳にする火星の話となり、船頭ら皆空を見上げてはあれじゃな

いか、いやこっちだ・・・。山の向こうらしくそれらしい光は見えなかった。その

うちに下で待つ遊船から提灯の明かりの合図があり、くじで一番船となった

うちの中乗り船頭が、火をかがりに組めて準備。炎が燃え上がり鵜を川へ

放ち、強い流れに船を乗せ出発。お客さんの乗る遊船区間に10数匹の鮎を

咥えると、あっとゆう間に鮎之瀬橋を通過。長い鮎之瀬に差し掛かる前に松

割り木を目一杯かがりに組める。今回も長良川の水量は多く期待はしていた

が、やはり瀬の肩は咥えっ放し・・・そして今回も事件は起こった。

瀬のど真ん中で後方の艫乗りが何やら叫んでいる。『櫂が落っこちた〜!』

次いで数秒後に『あっ、竿が流れた〜!』 後から解ったことだが竿を岩に捕

られて後ろ向きに竿ごと川に落っこち、その際に足元の櫂を蹴ってしまった

様子。水ん中から起き上がると10m先を鵜船が走っており、慌てて竿携え

走って飛び乗ったそうだ。その際発した言葉。(つまり僕ら2人は知ることも

なく鵜船を2人で走っていたみたい)そして慌てて竿差すと再び岩に挟まれ

たと。しかしよくこの荒波の中を走って飛び乗れたと驚く。この水量でもし乗

り遅れてたら、船はどこまで流されていたことだろうか。中乗りが後方へと

走り、僕は片手で竿差さなきゃならないという大変な局面に遭っていた。

 そうならなくて良かったが、前々回?の御料の際の中乗りの落水、次いで

今回の艫乗りの発声。次は僕かと不安に駆られたその直後、僕は僕で瀬の

落ち込み付近で鵜を絡げてしまい、手縄の長さが半分になるなどしてかなり

焦りました。すぐ先でカメラ構えている古田さんには申し訳なかったが、間に

合いませんでした。手縄のよじれが鵜まで至らないうちに急いで鮎吐かせて

終了。大きな鮎も目立って60匹程。かなり大変でしたが無事有終の美を飾

れそうだ。だけどまたハプニング・・・。

 瀬を上るのに使う引き綱が絡まって延ばせず、10分ほど立ち往生。運良く

見習い船頭のN君が様子を見にやって来てくれたので鮎箱だけ先に持って

行ってもらうよう頼む。やっと・・・無事、終了か。

 ん!!!庭に戻って餌を与えようと鵜籠持つと随分軽くて驚く。見ると1羽

しか入っていない。あちゃ〜!慌てていたが鵜を逃がしていたかとかなり憂

鬱になり、他の籠に間違えて3羽入ってないかと見、急ぐ。・・・否。『あー・・

明日は鵜を捕まえに行く一日に暮れるのか・・・』 と更に落ち込んで鵜に餌を

やっていると突然思い出す。夕方、説明の1羽の鵜を庭に置き去りしてあった

のでした(笑)。

 御料鵜飼、皆様本当にご苦労様でした。何かと事件が多かった今年の御料

鵜飼。特にうちの船頭2人の気骨には頭が上がらない。ただ、多くの鮎を献上

でき、そして笑って話せることが出来るのは幸せなことであります。


08 月 28 日(Thursday)
 釣り堀に行こうと前から坊主と約束すると、その日は決まって雨降りとなり

ずーっと行けなかった。そして今日、久々の休みの日にも雨だ。嫁は寒いし

雨も降るからリバーサイドモールに行ってこよう、小さい電車もあるし、と坊

を諦めさせようとするが 『トト(魚)釣る!雨降っても行く!』 の一点張り。

正直僕は嬉しかった。急いで鳥屋の掃除を済ませ父の手伝いをし、11時頃

美並村の釜ヶ滝にある釣堀へと車を走らせる。

 小川に薄っすら靄が漂い、アオサギが小魚を狙っていた・・。いつ雨が降っ

てきてもおかしくない、そんな空模様のなか到着した。冷夏の影響でお客も

2人いるだけ。早速店のおばちゃんのところへ釣り竿を求めに・・それも絶対

に切れない『赤い釣り竿』を。これは子供用のもので大きなマスが掛かろうが

本当に切れやしない。だがその代わりに釣れたのはリリース禁止で購入が

必須となる。1kあたり1400円ほど。うまいこと出来ている。

 もちろん入れ食いでうちの坊主、16cmほどのニジマスを次々と見事に釣り

上げていく。あんまり釣れても困るので、6匹釣った辺りでちょっと竿を上下

に揺らして落とさせる。10匹目を最後と言い聞かせ終わりとする。

 串を買って炭火で焼いて食べてくことにし、流しで腹だけ抜き取っては串を

入れていく。『手馴れたものね』 と嫁。焼き場に持っていくと火を起す準備をし

じろじろ見ては 『この刺し方じゃあかんな・・・』 と店主。何とかわい気のない

じいさんだ!と思ったが、しばらくいい話をさせてもらいました。そのなかで印

象的だったのは今年は冷夏で蛍が全く出なかった、という話。うちらの関市

では反対に例年になく多く舞っていたのだが・・・。


 
 食べている間はどしゃ降りになった。にもかかわらず流しそうめんを食べに

来る女性客や8人ほどの学生さんらがやって来る。見てるだけで終わるはず

もないうちの坊主は女学生の横に行っては彼女の竿を掴み、1匹いる赤い大

きな色鯉を指差し釣れと催促する有様。迷惑にも成りかねないのでもう一本

例の竿を購入。あまり釣れないように餌を多めに付けると、その『主』を釣り上

げまいと真剣な面持ちである。2、3度口には入ったが釣れませんでした・・・。

ほっ・・・。

 鵜飼。よく捕らえました。20匹ほどの鮎。お客さんも満足して帰られる。

・父、岐阜市の御料鵜飼の観覧へ足を運ぶ。


08 月 29 日(Friday)
 朝鵜を庭に出し、しばらくすると魚田さんの車が到着。昼のお客さんの鮎

を急いで仕分けして串を刺し、氷詰めしておく。

 今日は古津、立花の両嘱託員の引率で式部官数名と共に御料区の視察

をとり行う。本来御料場とは石が敷き詰まった大きな淵と長い瀬があり、鮎

その他もろもろの多くの魚は一般の漁師が立ち入れないこともあって、警戒

心は自然と薄く、巨大な『ねぐら』となる。

 僅か十数年の月日はおびただしい長良川の変化である。上流部でも瀬と

瀬の間のトロ場は砂で埋め尽くされており、もちろんこの立花の御料区も

例外ではない。

 川は山から海へと流れる。絶対的な高低差はあるので場所によっては

荒く大きな石ばかりの激流の長い瀬はもちろんあるが、水量は昔の比では

ない。よって、そこを過ぎればすぐに砂や砂利だらけ・・・。大抵の瀬は度重

なる鉄砲水により抜け落ち、落差は無い。

 御料場を尻目に立花嘱託の父は 『(御料場が)こうなっては、ここで鵜飼

をやっても・・・』 と語尾を濁す。『それでも・・・』 意固地になって式部官らに

かすかな希望を説くが、確かに納得させられる川の状態ではなかった。

 家に帰ってから隣のじい様に在りし日の御料鵜飼の様子を聞く。

『御料区は昔からさほど長い場やない。『乱狩り』といってな、瀬を下っては

上がる、の繰り返しで鵜船が入り乱れ、そりゃ無茶苦茶や(笑)。嫌っちゅう

くらいやる。鮎の逃げる場所がのーなるまでやった。短い御料区間のみ。

そんでも長良、小瀬の鵜飼屋10隻で鮎1000匹ほどは献上できた。それも

大きなものばっかりでな。1軒あたり同数揃えて献上して、それでも多く残り

市場に出しよった。』 ・・・そーな。





08 月 30 日(Saturday)
 曇り空に暑さが残っている。9月、夏休み最後の土曜日の長良川小瀬河畔

は多くの水浴客で午前中から賑わいを見せていた。

 手元にある一つの新聞内の岐阜県版を見開けると 岐阜県の河川調査の

ベスト5、ワースト5なるものが載っていた。その記述に、ん?と思う。

2001年度の全国平均を9ポイント上回っている、と。なぜに2002年度との

比較じゃないのか?1位との差ははたして何ポイントか?ベスト5内に長良川

中流として調査地点名は藍川橋、次いで長良橋。

 双方の距離は車で10分程。もっと上流はなぜ出てこないのか?調査地点

の『不思議』は全国に対する岐阜の清流長良川の面子を保つ為のようにも思

えてくる。あえて・・・か?記者が歪曲してその実情を知らせているかのように

思えたのは気のせいか。

 鵜飼。二部の開始を待っている頃に雨がしとしと降り始めた。

 ただ、いい風が吹いてかがり火は勢いよく燃え魚もよく咥えた。30cm程の

川鯉を捕らえたときは歓声が湧き起こる。帰って鳥屋の中で餌やってると、

窓から隣のじい様の声が。『うちも川鯉捕めた(捕まえた)でよかったら鵜に

やっとくれ』 。 御相伴に預かって若い鵜がおいしく丸呑み?しました。

 


08 月 31 日(Sunday)
 さらば今年8月の冷夏よ!あっという間の・・・雨一色の寒い夏でした。

 そして今日も上流で闇が降りるのを待っている間に水かさが20cmも上昇

して普段の運行はとても出来そうにない。池尻の浅い対岸のみの短い鵜飼

に急きょ変更。夕立か。郡上あたりでぶちまけたらしい。鵜飼前はひたすら

水が浮く一方で、大きな番石(鵜船の下に置いて留めておくための石)が水

に埋もれ、鵜船が 『早くしろ!』 と言わんばかりに動き出す・・・。

 3隻が皆同じルートを余儀なくされるために奥(一番)の船しか捕らないで

あろう今日の鵜飼。くじ引きは運良くうちが奥をとった。ただ、偶然同乗する

ことになったうちの坊主の乗る遊船舟は別の鵜舟につくこととなった様子で

少し残念に思う。『お父ちゃ〜ん・・・』 の声が後方へと過ぎていった。別の

鵜匠さんの姿も勉強にはなろうが、まだ早いか・・・。

 流れはとても速く、将にあっという間でしたがたくさん咥えました。後番の

鵜舟はやはりさほど捕らなかったよう。水が出たときの問題はこれですね。

 なるべくうちのお客さんはうちの舟につけれるよう手配するのですが、急

な変更には対処出来ず。庭で24羽の鵜が羽を広げて乾かす様子をゆっ

くりと見ていただき、ご説明さしあげる。

 『いい勉強になりましたよ』 と年老いた女性が帰り際に微笑まれる。

去年までは自分に余裕がなく説明もできなかった。常連さんに改めて喜び

の声が聞けて大変嬉しかった。