†  Diary - 2003/10 -  †

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10 月 01 日(Wednesday)
 今日は夕方父と木斛(モッコク)の移植を行う。ツバキ科の木で7月にきれ

いな白い花を咲かせる木です。次々と花が咲いてはしこたま落ちる山茶花と

違い、花びらも散らないので掃除職人の父好みでもある。坊主もスコップを

片手に邪魔しながら手伝うが腰も入って結構様になっており笑いながらも

感心す。

 昨日は僕に相談もせずどうしても気にいらない場所にドウダンを植えた父

・・・今でも納得いかないが、今日の木斛。話合っても一時間はらちがあかず

ようやく決まってから三脚を建ててチェーンで引き上げ、穴掘った場所に入

れるが二人して気にくわない。こうした時には改めて共通した話がなぜだか

出来やすく、早急に新しい場所も決まった。最初に父が言った場所である。

つまりは僕が難癖示しただけのことでした。

 でも、昨日の満天星だけはどうしても納得できません。たぶん父が死んで

植え替えようとした時に思いおこされるだろうし、元さやとなろうか・・・。その

時嫁は言うだろう。『あんた怒ってたから私とお義父さんでやったのよ』って。



10 月 02 日(Thursday)
 今日は別の満天星(どうだん)を移植。そして今日もまた決まるまでに約

一時間は費やす。なぜここ数日急いで植え替えを行っているのかというと

10数年前までそこにあった亭(ちん)を復活させようと父に言い出したからで

ある。僕がちょうど今の息子くらいの時に父が建てたもので、4本柱剥き出し

の小さなほったて小屋でしたが(幼少の頃の思い出というのは美化されやす

いものでもあろうが)とても感じの良いものでした。酒で生きた16代目芳男

との風景も鮮明に覚えている。いつも昼前から飯茶碗に冷や酒を注ぎ、なぜ

だかつまみは決まって桃の角切りだった。頬もまるで桃のように赤く細かな

筋が出ていたので小さな僕は桃の食いすぎだろうといつも思っていました。

病院で亡くなったと聞いて駆けつけた際には腹は酒でまだ熱く、ベッドの下

には堅く止められていたはずの酒の1升瓶が三分の一ほど残っており、

酒に酔っ払って幸せそうに寝ていた爺の顔見て涙は出たか記憶にない。

ただ、その日の記憶で特に印象的なのは真夏なのにちょうど今の秋の夜空

のように澄み切った満天の星空でした。軽トラの後ろ、荷台に乗り込んでは

行きも帰りも眺めていた・・・中学一年生の当時のこと。

 それから数年後に柱も弱ったためにその亭は壊されたのです。今日植え

替えた満天星はまだ若いけれど何十本あるうちで最も紅葉の色が良くて

石畳を通ってみえるお客人の目を潤すもの。夕日がちょうど照らす場所に

あったのでなるべくそれに沿うような場所にする。水攻めして床を馴らすは

昨日と同じ坊主の仕事となったが今日は落ちませんでした。そう・・・昨日は

泥まるけになって半泣きしてたのだが、ちゃんと学習してた。



10 月 03 日(Friday)
 夕方、早々と到着されたお客さんが風呂から出られて庭を散策なさってみ

えましてお話しをさせてもらう。10年以上前にも二度ほどみえたそうであり

旧旅館の話や庭木のことで盛りあがりまして楽しいひと時を過ごす。

 松尾山の上に掛かった半月は満月のように明るい光。秋、澄み切った空気

に余計煌びやかに見える。明るくなりすぎてはと、燃えた焚き木を頭上で振り

離れて停泊する遊船に向かって早めに合図し鵜飼を始めた。

 山あいにさしかかると一時かがりの火はたくさんの細かい虫に覆われ、違っ

たパチパチという音がした。今年は初めて。暑い夏の日には毎年のことだが

こんなに寒くなった秋風に群がるのはやはり冷夏の影響か・・・。

 鮎は大量!いつも使っていただいている常連さんだが、ずーっとこれだけ

多くの鮎を咥えるのを見えたのは久しぶりだと御満悦の様子。

 石畳を縫って鵜の庭へと向かうお客さん。暗闇がキンモクセイの香りを強く

匂わせ、どこから漂うかと鼻を先に歩かれて行く・・・。


10 月 04 日(Saturday)
 只今少し酔っ払っています。申し訳ありませんが単なる酔っ払いの日記と

なりそうです。実は鵜飼が終わってから説明後、鵜を鳥屋籠にしまい入れて

庭横の母屋でボクシングの世界戦を見ておりました。すると東京からいらした

浴衣姿のおじさんが通りがかってお酒を一献どうかと座敷に誘われる。

 先々代と比べりゃあまり飲めない口ではあるが年上のお方達。何事も勉強

であり喜んで座敷に上がりこむ。平均年齢60歳といえどもさすがに東京から

のお客人。僕のような若造が言うのは失礼ではあるかと思われるが 『粋』 で

あり、そして精神的に若い。たぶん僕以上だ・・・。

 今日昼に幼稚園の運動会に行って来たんだけれど家を出る前には嫁と一

悶着あり。秋空のような透き通る水色のシャツに父の若かりし時のスラックス

そしておじサンダル。

準備の遅い嫁に早くしろと急かせるが、出てきた嫁の怒ること。『何考えとる

の〜!!(かなりお怒り。)そんな格好して恥かしい。あんたいくつ?急いで

着替えてちょうだい!!!』 このズボンだけは、このシャツは、と抵抗するが

結局は総衣装替え。・・・いつもの僕と思えば完璧だったのに。

 小十年前までは若い親は少なく、落ち着いた地味な服装の親が多くて派手

な貴婦人が目立ったものだった。が、今は反対に大半が姉ぇちゃん母さん。

対照的な地味な方のほうが目立つ。

 どちらがいいとは言えないが、時代に左右されない常識を持った親さんなら

どんなかっこうされてても、見りゃ大体の想像がつきそうなもんである。

 今日は常識あるうちの嫁に助けられました・・・。


10 月 05 日(Sunday)
 しばらくずっと11羽の鵜を使用しているので左腕筋肉が少し張っている。

24羽飼っているうちの一番若い鵜がしこたま引っ張るので尚更のこと。

 3時頃長良川の脇。船の傍で吹いてくる秋の風に身を置きタバコ吸ってる

と何とも言えない寂しさが募る。あと2週間もすれば舟は皆陸へと上げられ

冷たい風のみとなるのだから。西洋たんぽぽの綿帽子を見つけた坊主が

ふーっと吹くと遥か彼方へ飛んでいった。

 今日もまた父が夕方になってから椿の木を観覧席の脇へ植え替えすると

言い出し、土作業を始めた。段取り分かったうちの坊主も、僕が木を移動さ

せ床に降ろすとホース持っては 『準備いいですよ〜。スイッチおーん!』 と

水攻め開始。スコップで僕が土を入れれば木の棒で突付いてくれもする。

 鵜飼にも毎日好んでついて来るようにもなった。旅館に居ては邪魔となる

のが実際の理由だが、鵜でも子供でも自ずと自然に身につくようになれば

こそで、無理やりは決して伸びないものと。これは鵜を飼育するうえで最近

になってやっと実感してきたことである。

 そしてたぶん、子供とは会話が出来るぶん難しいとも思いました。

 


10 月 06 日(Monday)
 しばらく晴れの日が続いたので夜は急に寒くなったと感じても昼間は秋風

で涼しくなったと思うぐらいであった。しかし今日は太陽も顔を出さないので

実に『寒〜い』 一日となった。

 朝堤防の上を犬2匹連れて散歩。誰もいないのでリードを解いてあったの

だがそろそろ来た道を戻ろうかとUターンした途端、後方でメルが泣き叫ん

だので振り返ると鼻から血が流れていた。昨日のバーベキューの残りを探

し当てたチビが食い意地を張ったらしく、こっぴどく叱りつけた。

 柴犬の血が入った雑種のようだが僕の経験上日本の中小型犬は猟犬の

性があるようで野生味も強く感じる。(そういや先日うちの船頭に聞いた話に

よると、数十年前までこのあたりには普通の柴犬よりも一周り体の小さな 

『美濃小柴』 なる犬種がおったそうです。)その帰りには2匹して追いかけ

あい、疲れると一緒にちんたら歩いては川へ水を飲みに行く。一見仲が良さ

そうである。ただ、体の大きなメルに後ろから体当たりしては目の前で前傾

姿勢となり挑発。周囲をすばしっこく走り撹乱しては向かう様を見てると・・・

メルがイノシシに見えてしまった。お手御代わりに待て御座り、そして座敷に

上がろうとするからには室内犬として飼われていたのであろうが、捨てられ

徘徊するうちに野生の感が戻ったのであろう。まだ幼いから余計にだ。

 鵜飼の鵜と違ってペットとしては野性味を残す必要はなく、危険も生じるの

で手をかけねばならない。昨年初めて鵜飼に連れて行った新鳥(野生から

間もない若い鵜)にお客さんの前で顔を突かれ血まみれになったっけ・・・。

理由は至極当然のこと。第一に僕の仕込みが悪かったこと。二つ目にまだ

経験不足により興奮しきった鵜が防衛反応を起こしたことであり、3つ目は

僕が不用意にも顔を近づけたことだ。

 人間の社会では加害者が大方罰せられるが、その要因となる出来事や

経緯があるもんだろうし、加害者の感情も興味深い。つまりはメルも不用意

だったとも思える。

 今回チビ(捨て犬)を保護するにあたって他にも勉強となったことあり。

鵜飼前に首結いを縛る際に暴れるやんちゃな中堅の鵜が1羽いるのだが

苛立ってうちの船頭、たまに手で持つそいつの頭を傾けては目をじっと睨む

ことがある。また彼は吠えるチビに向かって櫂(かい;漕ぐためのオール)を

振りかざして 『黙れ!やっかましいーな!』 と血相変えて叱りつけたり。

 もちろん余計に吠えるし暴れる。つまり心許さない相手の凝視する目は

野生を殊更に刺激するだけとなると。動物は興奮すると反射的に野生味

が浮き彫りとなるが、やはりラブラドールは(改良して生まれた犬種だから、

でありますが)盲導犬となるだけあって信じられないくらい温和であり心の広

さでは他に類を見ない。

 ただ、チビに前足踵落としだけはする・・・。うざったいことも事実ある様子。


10 月 07 日(Tuesday)
 夕方。今日は鵜飼もお客様もお休みである。父と山ボウシの木の植え替え

作業をしていると、古田さんが訪問された。

満天星(ドウダン)につられるようにして、美男葛(ビナンカズラ)も赤々と色づ

き始め、実もたわわとなる。

 満天星 秋暮れゆくなか 照らし出す・・・・・・あっとゆう間の、そして愛され

る季節の到来だ。


10 月 08 日(Wednesday)
 夕方。隣のカネモの爺さん家に遊びに来たお孫さんと一緒に遊ばせてもら

っていたうちの坊主。夕日も山に差しかかってきたので迎えに行くが見あたら

ない。田んぼで野焼きしていた爺さんらに聞くと何か取りに家に戻ったとか。

入れ違った様子。家に探しに戻ると庭の向こう側を竹ぼうき携え、表の田ん

ぼに走って向かう坊主の姿。

 稲狩りが終わって、道路端の穂くずを爺さんがほうきで掃いているのを見て

感化されたみたい。『もう、ええぞ〜。』 『まだあるて!』 塵ひとつ無くなるま

で掃除するのを見ると僕の息子というより親父の子かな。その後も子供同士

はやはり楽しいらしく田んぼから出てこない。2人して電車ごっこして走り回っ

てキリもないので、脇に抱えてバタつく坊主連れ戻す。

 鵜飼はうちの番ではなかったが下船後のお客様をお待ちして鵜匠着物を

装い、庭で餌を与え説明させていただく。

 三代(四代となるかも)に亘って交流のある職人さんの親方に座敷に呼ばれ

お酒をいただき、只今ほろ酔い気分でもある・・・。


 鵜飼も残すところあと僅か。それにしても常連さんから当HPやつい先日放

映された『まちゃみ食堂』をご覧になって来ていただいた方々に大勢来ていた

だけるのは有難いことであり、そうしたことでなんとか小瀬の鵜飼が存続でき

る現状である。しかし、あまりにも知らない人の方が多いので潜在能力は

かなりあるかと思うし、それを繋ぎ止める努力はこれからも怠らない。

 日々勉強、日々精進。日々進化、かつ日々謙虚・・・。



10 月 09 日(Thursday)
 庭の石っころを動かしていると岐阜e−ねっとの後藤さんがお立ち寄りに

なった。しばらくの間観覧席で腰を下ろして茶談話。『精が出ますね〜。日記

も根気よく毎日・・・』 彼も一時デスクに筆を持って頭を悩ませた経歴があった

らしいが僕には『一服』と記憶を繋ぐひと時である。鵜飼で書くこと少なけりゃ

庭木や花の季節を愛でたり、一緒にいながらともに遊ぶ時間が少ない坊主の

様子、嫌なことありゃ文句の吐け口といったり(笑)。幼稚な文章でも頑張りゃ

それなりの庭ができると考え続けているが、後藤団扇で煽られ過ぎて秋の空

へと浮いてしまいそうでした。そのほか鵜飼から始まって地域、テーマパーク

各お店のPR方法の上手い下手議論となった。

途中、お客人が訪問したので用件を伺ったところ関市のお隣りの教職員様。

校長会で話をしてもらえないかとのことで、昨年もございました。ただ去年は

まだ自分に余裕がなく人に対してお話聞いていただく術を知らず、今考えると

お粗末極まりなかったように記憶している。

 目上の方というのはやはり『聞く耳』をお持ちになっており話もしやすいので

すいすいと。かたや学生さん、特に学校教育の一環として(言葉が悪いが)

仕向けられて来ている先生や生徒さんに対しては歯切れが悪くなる。時間が

指定されての観光の前座もそう。自分でも今分かったことだが、気が無い人

や子供に直球真剣勝負を挑んでいたようなもので酷くかっこうの悪いものと。

 ただ今回のように伝える人、教える人。媒介となる人物に聞いてもらえるの

は、その機会を得られるのは本当に幸せであります。

 今日も鵜船と遊船一対一の鵜飼でしたが、乗られたお客様は岐阜新聞の

若手記者の集まり。鵜飼に関する記述もこれからなさるであろう方達。下船

後にいつものごとく鵜飼の濃い説明をさせてもらう。

 基本的にうちのお客様ではなく、そのなかの上司の父がうちの親父に陶芸

を教わったと聞いたので、というのあったがそれ以外に何か嬉しかった。

この職種の方達に私的に鵜飼を楽しんでいただけるというのは実に大きな

意味があると感じました。


 かがり火風に強くなびき鮎も多く咥え、その方達と同乗した古田さんも良い

写真を撮れたかな?小瀬鵜飼を誠に伝えてもらう、歴史を記録してもらえる

本当に大事な人物なのである。


10 月 10 日(Friday)
  秋の夕暮れは美しい。山に消え行くほんの一瞬の間であった。

初夏にうちが紹介されたCBC放送を見て懸賞が当たり、食事と鵜飼の観覧に

みえた三重県からのお客様の姿がございました。今年はHPで知った御新規

の方々も何度も足を運んでくださり嬉しい限りでございます。

鵜飼終了後に説明をしてその後鮎雑炊を食べられた当選された御夫婦。来

年も是非来ます、と。暗い庭、石畳の上を縫って遠い帰路を急がれる。

チビが頭を高くして吠える、その先にはまあるいお月様がお客様の足元を

照らす・・・。今宵は満月だ。

 そういや昨日はとても嬉しいことがあったのです。今まで船に引っ張られる

だけだった新鵜が初めて鮎を次々と咥えたのだ。目の前の鵜が捕らえた鮎

を横取りしたのがきっかけ。一番大きな図体で食を減らしてあるのだから先輩

の獲物だろうが関係なし。そようやくスイッチが入ってそれ以後5,6匹の鮎を

咥えた。普段は贅沢させずに大舞台で味を知らしめることが大事かな。

 皆たくさん咥えて30匹ほどはあったろうか。鵜ののど元は一時膨れどすぐ

にしぼむんだ。吐け籠に残った鮎は大きな鮎が3匹だけ。真っ黒くろすけの鮎

もあった。とろ場も落ち鮎となりにける。

 どちらかというとメスの子持ちが食べたいと言う方が多いが、鮎自体はオス

のほうが美味いしいと僕は思う。塩漬けの『子ウルカ』なんかは特に白子が美

味い。今日も酒の肴にご所望があった。
 
 例年と思うと落ち鮎を楽しむ方が多いが、その背景には景気低迷のなか純

粋に季節感を味わう人が増えたためあろうか・・・

飛騨高山の白川郷なんかも既にすごい人出だとか聞く。もう山上は秋の化粧

を始めた様子である。


10 月 11 日(Saturday)
 曇り空で暖かい日。昨晩お月さまが傘さしてたのだから雨も降ってくること。

日中は関市本町で刃物祭り、夜には美濃市であかりアートが開催されるし

泊まりがけでそのイベントを楽しもうと今日も多くのお客様が見えるのだ。

遠路はるばる千葉県からお越しの方まで。なんとか昼間は雨ももつ。

 晩の鵜飼。夕方頃深みから鮎がざわつきはじめ、一斉に『そじ』のもとまで

やって来たので今日も大漁かと期待するがそうはいかず。わずか10数匹を

咥えただけでした。鮎は産卵を待つばかりで雨の気配を察知して下る準備を

しているらしい。かなりの数で群れており、深みに戻って時期を待っている。

雨の降り次第では鵜飼終了日までにかなり見ごたえのある漁となろう・・・。

 鵜の羽を乾かして鳥屋にしまい込むと、家族3人で美濃町へ車を走らせる。

すでにお客様も発ったようだが、出る前から雨がぽつぽつ降ってきてたのが

少々気にかかった。

 着くと大勢の人達で賑わっているし出店も繁盛しているが、時間も無いし

まずは『明かりアート』を見に行こうと先を急ぐ・・・が見当たらない。

 『あのー、あかりアートはどちらでやっているんでしょうか?』

 『メイン会場は一筋向こうの道やけどここも会場やよ』  『?・・・・・ん!』

煌々と燈る屋台の明かりに隠れて道脇に袋がいくつも被せてあるのを見て

納得。和紙による作品で明日も展示されるのだから仕方あるまい。深く沈黙

して悲しげに目に映る。色彩が変わってしまうため提灯のように油で塗って

防水とはいかないにしても、雨も止んだことだしもうあと一時間。せめて十時

までやっててくれればと少し残念。ただ関市と違ってうだつの町並みがあり、

美濃和紙による工芸土産品のお店も素敵な佇まいである。軒下の昔なつか

しい裸電球が、連なる屋台が、急遽片付けられた全国からの作品に代わり

観光客の足を集めた。

 嫁と子が土産に鯛焼き買うために並んでいる間、僕は焼き鳥の出店で缶

ビールと串焼き三つ買い、しばし祭りの気分に酔いしれる。坊主はりんご飴

を買うが食べず、僕の焼き串を取られてしまった。代わりに酒の肴とはいか

ない小さなりんご飴だがひどくなつかしい味がして・・・。

坊主がいつまでも噛み続け、味の抜けた鶏肉は吐きそうな味がして・・・。


10 月 12 日(Sunday)
  『ガーガーうるさくて眠れんかったわ』 とお泊りのおじさん。鵜は夜中には

それほど鳴きやしないがと思いながらも一言謝ろうとする。聞けば同室の方

のイビキが半端じゃなかった様子であり、寝る前に自己申告があったので怒

ることも出来んかったと苦笑しておられました。

  福井の両親が到着したので昼食後に皆で刃物祭りへ。土産ときくちよさん

への賞品を求めに虎屋へ向かう。道中、後輩や知人に声をかけられ刃物を

購入するといろいろサービスしてもらえました。また行き交う観光客のなかに

懐かしい顔ぶれもあり会話も弾む。ガラス張りの中で実演販売するあん巻き

職人の本町タイガーさん鼻水垂らして・・もとい、汗水垂らして頑張っている。

長蛇の列で商売繁盛。雨も降らず本当に良かった。

 鵜飼も残すところ三日である。降りそうで降らない雨のなか行われた今晩

の成果はいまひとつ。それでも咥えるところ結構見れましたよとの嬉しい声

を聞けた庭での説明後、たまたま遊びに寄った犬山の鵜匠の姿がありまして

いろいろと話を伺う。

  昼間の鵜飼もけっこう”うけ”が良いらしく何より。お客様に受け入れられれ

ば当然成功だろう。鵜船の前を行く船が魚を放るので咥える所がよく見える

とか。乗船と弁当で三千円ならば確かに値打ちである。

  良い鵜飼、風情がある、と言われる小瀬の鵜飼もやはり夏季の鵜飼開始

までの待ち時間の長さ、完全な自然相手の漁のために感じ方も千差万別で

あり、それを補うための努力は僕個人だけでは無理かもしれない。見せる側

の考え方もそれぞれであるが故・・・。

  犬山の『語らい』をお送りした後、宇宙人の酒宴に同席させてもらいまして

秋の夜長となりにける。


10 月 13 日(Monday)
  夜分に山では雨が相当降ったらしく長良川は濁り水、と絶好の『そじ』日和

である。

  昼前から雨も上がり鳥屋から鵜を出してやる。待ってましたとばかりに皆

一斉に池へと飛び込み水浴び。冬毛に生え変わろうとしているので細かな、

それこそ鵜毛とも言える毛が水辺に漂う。

  宇宙人さんだけゆっくり滞在されていたので昼食を皆で食べました。網を

持ってそじへと向かう。日も照りだして鮎が騒ぎ出した午後、投げる網には

無数の落ち鮎が一面に掛かる。ただ川の水位は増える一方で身動きもまま

ならない。途中 『ドボン!』 と音がしたのではっと振り向くと、隣にいたはずの

おじさんの姿がない。見えるのは被っていたであろう帽子のみが水面に見え

ているだけ。一瞬焦ったが数秒後には、ぷは〜っと出てきたのでほっとする。

福井の御両親が帰るまでにけっこう捕れたので土産に持って帰ってもらう。

まだ黒びていないきれいな鮎である。

  夕方鵜飼の準備し上流へ向かおうとする。水が高いので当然船外機を用

いるだろうと思っていたが使用しないとのこと。うちの船頭には先に行ってもら

い、竹ざお持って遊船の船に助っ人で乗りこむは船名『かつら』丸。

  今晩の鵜飼、予想はしていたがやはりたくさん鮎を咥えた。雨の後の吹き

つける風。かがりの炎は勢いづき鵜船の後方部の舳先まで火の粉が一気に

飛んでいく。そして薄にごりの高水位と絶好の条件でもあり、ほぼ捕りずくめ

であった。

  今日はお客様をとっていない休みの日であったが観覧席には人だかりが。

『先ほど助けてもらった鵜匠さんですか?実は今日乗った船名と同じく、私の

名前もかつらなんですよ』 と御名刺いただきまして・・・。何かと縁のあること。

長良川の離宮にいざなってもらえようか?わたくし鵜匠太郎と申そかな・・・。


10 月 14 日(Tuesday)
 本当に寒い。冷たい雨も降っていた。なのに昼ちょっと前から川に入った

おたわけさん。網で10匹ばかりの鮎が捕れたが、一気に寒さが増したせい

で昨日と比べると鮎は更に黒味を帯びていた。小さなメス鮎の腹は ”ぽん”

ぐらい。この一週間で”ぽんぽん”になるだろうか。水に直接触れない胴長を

着てはいるものの足はぶるぶる震えてきだしたのでさすがにやめました。家

に入って熱い風呂にはいる。

 寒いわけで満天星(どうだん)の葉が大分赤く染まっている。

 鮎皿に敷く熊笹を取りに庭隅に行くと、足元でなにかが動く。蛇かと驚いて

ぴょんと後ろに飛ぶと握りこぶし大のトノサマガエルが笹のトンネルを奥へと

のそのそ入っていくところでした。子供に見せてやろうと辺りを探すが見つけ

ることできず。しかし稀に見る大きさだった。彼らも冬ごもりの仕度があること

だし捕まってもいられないか・・・。


  好き好んで冷たい雨のなか鵜飼鑑賞したい人はいるはずもなく、今日の鵜

飼は昼にキャンセルとなった。お客様は結局鮎料理だけを食べにきたのだが

その食べっぷりは驚きである。この時期鮎も大きいのだが塩焼きを2匹ずつ

にそのあと二種類の焼き鮎両方出してくれと。もちろんその前後に鮎の赤煮

と揚げ(フライ)も出る。まず食べきれないだろうと思われたが鮎雑炊も見事

平らげたおじさん連中。さすがに食欲の秋といったところか。

 座敷で鵜飼の説明をする際。うちの鵜もこれだけの鮎を食べたことはありま

せんよと前説すると苦笑しておられました。明日で今年の鵜飼も終わりか・・・

実に早いものでした。


10 月 15 日(Wednesday)
  昨晩の雨はあがり、からっとした風が長良川の土手に吹きつけているなか

犬の散歩をしている。チビもすっかりと馴染んでしまった。朝から川のなかで

『そじ』 まわす鮎を狙って小瀬の川漁師らが勢揃いであり賑やかである。

  僕も昼少し前から参加してお遣い物用の鮎を捕らえに向かう。そじの前を

数十匹の鮎が下ろうと右往左往する。ある群れは捕らえられ、またある群れ

は落ち逃れ、更なる試練を乗り越えて産卵を迎えることが出来ようか・・・。


  秋の夕日も落ちにかかると、表玄関からは最終日となる鵜飼にも大勢の

お客様がみえた様子。いつもの寂しい小瀬の鵜飼らしくない。川でも上流へ

向かう最中、至る所でドボン、ドボンとかなり鮎が群れているの様子だ。

期待が出来そうである。

  風、水かさ、濁り。いずれも三拍子揃って最高の状態である。三歳となった

ばかりの坊主に鵜を一羽持たせてやろうかと直前まで迷ったがやめた。まだ

早いしおもちゃとなってはかなわない。鵜にも迷惑となろうこと。

船出と同時に”ホーゥ、ホー、ホー”と励まし始めた坊主。それに応えるかの

ように鵜は皆次々と大きな鮎を咥えてくる。嘴のなか抵抗して強く反り返すも

喉元深く納められていく。

  赤々と尾を引くかがりの炎に照らされ、11羽の鵜達はただ目の前を逃げ

惑う鮎の群れを、咥えては飲み込み吐かせられの繰り返しでした。在りし日

の鵜飼を想像する必要はなく、目前で繰り広げられた漁の鵜飼の風景は

いかにお客様の目に映ったことか。

  最終日となった今日の鵜飼でしたが(鵜飼開始)直前まであった寂しさも、

終わってみれば秋特有のものだったろうと思えるほど納得のゆく、実に爽快

な鵜飼となった。

  今宵の鵜飼で獲れた鮎をうちの船頭らに振る舞い、シーズンの無事終了

を祝った。

  当HPを御覧になって初めて小瀬の鵜飼に足を運んでいただいた方々。

毎年『鵜の家』をご愛用していただいておる常連の皆様。放映されたテレビ

を通じて訪れてくださった方々。誠にありがとうございました。来期もどうぞ

よろしくお使いいただけますようお願いするとともに、またこれからも御指導

御鞭撻のほど重ねてよろしくお願い申し上げます。

(鵜飼関係者の皆様にも無事終了となって感謝しておる次第であります。)

  そして明日以降も多くのお客様がたが落ち鮎を楽しみに来ていただける

ようでありますが・・・秋の景色に見とれて事故などなさらぬよう、気をつけて

お越し下さいませ。


10 月 16 日(Thursday)
  鵜飼も終わり落ち着いた日々がしばらく続きそうである。残してあった、と言

うか涼しくなったらやろうかと思っていた鵜の庭なかの松の木の剪定を慌てて

始めた矢先に指をハサミで”ザクッ”とやってしまった。血がちょこっと止む迄

テレビでも見て一寸休止。何やら日本が慌ただしい。 やれどっかの大統領が

来日するだのお偉いさんを更送するだの。派手なマスコミ利用の政治手法も

東洋に似てきた。後者の件が大きくなり実際の改革のメスとなるならば、近く

来るとされている東海地震なんかよりも日本が震えることとなりそう。

♪でっきるっかな、でっきるっかな、はてはてふふ〜、はてふふ〜。♪

  コーヒー片手にPCでもう少し一服。実は剪定中の松にヤニの噴出す穴が

開いていたので、松くい虫対策に何かいい方法はないかと調べていた。キト

サンだったっけか?松葉の黄化にはかなり効果があるとあり購入しようかと

他にも調べてみる。ただ結局はアメリカ産のウィルスのようなもので、環境の

保全に務めるのが第一のようだ。

  進入してくる外敵を徹底的にやっつけるのが西洋医学であり、土壌となる

体の健康促進に繋げるのが東洋医学の考えだとか。植物医療にもそれが

言えるようである。たしかに一つの病気や害虫を駆除するために強い薬を撒

きゃぁ死滅するが副作用(環境にも)、あるいは耐性持って更なる強い・・・・・

政治にしても日本はかっこうに惑わされず、追随せず、東洋医学の考えも

考慮して欲しいものと思った。

  昨晩座敷でお話させてもらったお客様。『昔の政治家なんてのは身上食い

つぶしたもんだ。今なんてどっぷり二代以上も悠々と続くんだからな〜』

  宮内庁式部職の肩書きあれど、小瀬の鵜匠は市からの補助金あれども

給料なんてものは出て来ない。それこそ鵜呑みの餌代に”糞”と化しますわ。

実際のところ旅館経営のみが支えてくれている。鵜匠といえども鮎食わねど

高楊枝?あと何代続くかな。努力は惜しまないが、ね。



10 月 17 日(Friday)
  秋晴れが続いており気持ちのいいもの。田畑には稲も、彼岸花も無くなり

さっぱりとしたものであります。

  松の剪定をしている。梯子(はしご)の上から見おろす池の鵜は水浴びを

した後に心地よい秋の光に背に受け羽を乾かしている。

  日が傾けば、夕日の橙色に照らされるどうだんの、ほのかに赤く染まる葉

がある。季節を感じる色とは日の傾きで違って見える様子にもあるのかな?

  夜。嫁と本当に久しぶりにテレビを見た。最近僕のテレビを見ることが無く

なったこともあるが、趣味の合わないこともプラスαで・・・。久しぶりにパチン

コなんぞ行っては打ちのめされ、何となく一緒に見ることとなったのは耳の不

自由な天才ピアニストのドラマ。

  最後にあればな〜と、かすかに期待していたら終わりがけに本人のリサイ

タルの収録があった。6年ほど前に三味線を習うきっかけとなった高橋竹山

の放映の時と同じくらい背筋がぞぞっとした。(当時の若い私は単純に 『その

音色を自分で・・・』 と心底思い、浅はかにも始めた小者であります。)

  両者は決してアメリカンドリームのようにとんとん拍子で成功した人物では

なく、後世人はその生き様に心動かされど人生の手本とはされにくく・・・。

  芸術家ってゆうのは生きている本人がその時代に即受け入れられるかは

わからないものですよね。しがらみもあるし。

  秋だし、明日からはピアノ曲のCD求める人もさぞかし多いことだろうて。

戦後打ちひしがれた日本人の耳に入ってきた『第九』のように・・・。国の景気

も悪いし、僕の懐も寂しいし・・・(笑)。


10 月 18 日(Saturday)
  今日も空いた時間に松の剪定を行った。暑い日だったが早くしないと弥勒

寺のほうの庭掃除もあるしで汗ばみながら。

  日も暮れがかり、晩ごはんよと呼ぶ嫁の声に作業中の枝だけはともう少し

待たせていた。鵜飼も終わったので鵜の餌の時間を早めていかなきゃならん

のだが、明日は朝から船上げに昼からはお客さんと忙しいので少しでも剪定

をやりたい気持ちも解かっとくれよ、鵜と嫁よ。

 僕が木の上で仕事する間中下でうろちょろ動き回っていた坊主は、その夕

飯待たせていた時も池の周りで飛び回っていた。

  あかん!と注意したのに無視するからバチも当たるわ。この寒くなってきた

夕暮れ時に全身ずぶ濡れになりおって・・・。ハシゴの上から直後に見た坊主

の顔はハトのように目を丸くしてた。

  近くにいた父が、水ん中にうなぎでもおったか?と笑って抱え嫁の元へと

連れていく。しばらくしてからこの雲一つない空の下に大きな雷が落ちたのが

聞こえてきた・・・



 


10 月 19 日(Sunday)
  本日朝8時より『船上げ』が行われました。下条クレーンさんに来てもらい

次々と船が堤防の上へと吊り上げられていった。船頭ら皆総出の大仕事。

大船(屋形船には2種類。他は小船)のなかに丸太のコロを3本ほど並べて

鵜船をその中へと人力で差し込んでいく。皆力任せで勝手気まま?鵜船転

がすコロに手を挟まれたりする人がいた。僕も足の指に乗っかってしまった。

 中学生時分には台風が来るからと慌てて鵜船を引き上げる際に、コロを移

動させようとして手を下敷きにしたことがあったっけ・・・。あの時は手がパンッ

パンに膨れ上がった。

  堤防の上にきれいに並べられた後は雨が入らないようにシートを隈なく張

り巡らす。その隅には一つだけ廃棄処分となる屋形船があり、先ほど屋根は

取り外され放置されてある。数十年前までは屋根なしの石船のようなものが

客船に使われていて、ロープを頭上に張り所々に提灯をぶら下げてある、

といった・・・良く言えば星空眺められるような”風情のある”遊船でした。

  船大工もまだまだ敷の良い使える船だから、FRP(ガラス繊維)を張れば

問題ないと言う。撮影時や空気の澄んだ日なんかには大変 ”使える” 船と

なりそうだけどな〜。頭から若いもんまで同調していたが、あとは会社がどう

判断するかだけ。何事もポジティブに取り組んでいかなきゃ田舎は埋没しか

ねんし、古きを辿ろうとする熱意と投資はあって然るべきかと思われます。

  回顧主義と違う。捨てられていった歴史を戻す作業には相当なエネルギ

ーが必要でなおかつ、意識改革が一番難しいところ。”つぶやきシュール”で

終わっちゃならないことなんですな(笑)。

  昼のお客様の後、下でバーベキューしてる船頭の集まりに参加し日の暮

れまで飲んだ暮れ。呼んでないのに坊主やって来てはしこたま肉を口に入れ

冗談半分で手渡された酒を飲んでは顔を歪めて・・・しょっぺ〜!。ほのかに

顔も赤く染まっていた。

  おい、と呼ばれて酒に口あてかけた顔を向けると坊主が水辺でもがいてる

のが目に入って驚いた。酔っ払って足を滑らせたか、川際で婆さんと遊んで

いたら昨日に引き続いてハマッた様子。上向いて完全に沈みこんでいたので

水も少しは飲んだこと。婆さんに見てもらっていたとはいえ親の完全な不注意

であった。半狂乱となっていたのですぐ様すっぽんぽんに脱がせ、そのまま

嗚咽する坊主を抱えて橋のうえを散歩。トラウマとせず親の不注意を坊主の

勉強とすり変えようと・・・。

上から川の深みを見せては怖さを教え、早く大きくなって泳ぐ練習しようねと。

そして1人では絶対に近づくなと言うと、『あい』と涙飲んで返事。後ろから嫁、

血相変えて走ってくる橋の真ん中。『こんな風のなか裸で連れてきてあかん

やないの!あんたっ!』 『・・・あい・・・』

  まず今日はもう出てこないだろうと皆で酒飲んでいると、30分後。練習する

と走って川原に戻ってきたのには正直、面喰らった。怖さを知ったとは思うが

こうして大人たちが酒飲み交わす場にやってきて、おちょくられるのがよほど

楽しいのであろうか。暖かな秋の空の下、赤ら顔の船頭らに暗くなるまで相手

してもらっていた。

  毎年小瀬で数人が溺れて亡くなる。大概は洪水時か酒を飲んで泳いだか。

この流域で育つ以上は川の美しさや楽しさと同じだけ怖さも知っておかねば

ならないが、親の見える範囲で起こったことが幸いであった。

僕も坊主も今日のことを無駄にしないようにしますさせます、ごめんなさい。


10 月 20 日(Monday)
  『こんなのうちにあったんだ〜。知らなかった。』 と嫁。

庭の隅にはカラス瓜が2,3個実り、ぶら下がっている。でもこれって食べれ

ないんだよな。名前のわりにカラスがつついているのも見たことないし・・・。

この時期にはたわわに実った柿があることだ。カラスよカラス、柿食わんとさ、

この実はいらんかえ〜!と売りに出したいからだとか。そんな訳ない(笑)。

  夕方には松の剪定も一段落したので坊主乗せて自転車で木村屋へ。

僕は缶ビールとアタリメ、坊主は長いチューブに入ったゼリーを持ってレジへ

行くと他のお客さん接客中のおばさんに代わって、ランドセル背負った小学生

の女の子が傍らでレジを打ってくれた。馴れたいもんでピッ、ピッと手際もよく

おつりもちゃんと計算するんだから。母さんのお手伝いとは偉い!凄いね〜

と褒めるとちょっぴり恥ずかしそうにしてた。

  帰りにふと円空会館にでも寄っていこうかしらとUターンしてみたがあいにく

休館日でした。長良川の堤防に腰掛け、七つ岩のあたりでバシャバシャ跳ね

狂う鮎の群れを見ながらしばらくビールを、坊主とスルメをくちゃくちゃやって

あっという間に日も暮れていった。秋のはしりを気持ちよく感じていたのだが

早く帰ろうと坊主が自転車のベルを鳴らしてやかましく・・・。

  夕日も山に差しかかってきたので鮎之瀬橋をジョージアマーチの鼻歌で帰

るのでした。僕の作った替歌に坊主もノリノリ?感化されやすい僕だこと。

先日放映された小沢昭一の、添田唖蝉坊の・・・。他にも誰か見てたかな。

昔懐かしむ爺さん婆さんくらいかな〜。もう1回再放送してくれんかな〜。


10 月 21 日(Tuesday)
  朝から曇り空が広がり雨もいつ降りだすことやら。

  早めに鵜を鳥屋籠から出して掃除を始めた。羽広げて乾かす鵜の上には

例年にない無数の赤い実がぶらさがっており、今日は目立って見える。

  昼前、母はお手伝いさんら連れ鮎雑炊を振る舞いに行く。

当初行ってた福祉施設では不義理を被った為、母の逆鱗に触れ?蔵変え。

現在は”つくし作業所”である。毎年恒例のボランティア事業であり、こちらも

あちらも共に楽しみにしている。今年はうちのお手伝いさんも行きたいと言い

嫁は家で子と旦那の面倒を見た。

  『タコ糸はどこにあるの?』 昨晩料理の本を見ていて豚角煮がどうしても

食べたくなったので、近く必ず作ってくれと駄駄をこねた結果、今日早速作っ

てくれるらしく食材を買ってきた。彼女なりの我が家での嬉しい慈善事業!

  食卓にのぼった一品の角煮。型崩れしないよう紐で縛ったきれいな十字の

痕が残っている。口に入れると味はなかなかいい。よく滲みている。けれど

食感はしっかりとした歯応えがあり、これでは縛る必要も無かったのでは?

はっきり言って堅いんだ!と嫁に言うとかなりの膨れっ面をされた。やぶ蛇、

いや単なる余計な一言でした。

  秋の空、なんてもんは分からん。昨日までの晴天はどこへやら。アフター

ケアに二人して買い物へと出かけるが、めでたし〜めでたしとはいかず。

本日は終日雨降りとなったのでしたー。

  慈善事業ももちつもたれつ。でもお互い気〜良く終わらなあかんですね。


10 月 22 日(Wednesday)
  夕方鵜を鳥屋に追い込んで大至急池の掃除をし、餌を与え、風呂に入っ

て髭剃って、ビッと決めて?関観光ホテルへ。嫁に送られ6時ぎりぎり到着。

今日は鵜飼関係者の納会があったのです。

  さ〜飲むぞ〜、楽しむぞ〜、と行きたかったが出始めに遊船会社事務方

がとんでもないことをしてくれた。ここ7,8年の鵜飼日数と遊船客の数字が

書かれているのを持って『見えますか〜?実は・・・』。端からしょっぱい酒の

幕開けとなり尾を引いたのは言うまでもない。つまり『ここ』が小瀬の鵜飼を

衰退させてる原因の一つでもあるんだな。

  経営陣が代わってからというもの、バブルが崩壊したというのに業績数字

のみが過去の幻とともにお話されます。お客様の気持ち、船頭らの気持ち、

鵜匠らの気持ちに入り込める、或いは入ろうとする人間も見当たらない。

  今年は去年と同様で 船頭らだけで旅行も無い 忘年会すらありません

金が無い無い袖振れぬと 言わないでくださいな 

若い船頭らもいることだ やる気にさせて あげてよね 

楽しく酒を飲ませてね 愚痴ばか言っても直りません

やるんなら 怒り怒って説教垂れて 最後に安い飴くらい

舐めさせてやってちょうだいな

船頭らとの話の内容は皆大体こんな感じで・・・。

『旅行も忘年会も出来ないから、少ないコンパニオンで勘弁してくれ!』

で納得いくことだろうに。船頭という職人に対して鵜飼のクイズという色気の

なさ。役員さんのなかにこの日記を見てる人はいないか・・・。(検索エンジン

で当HPがトップに出てしまうということは、それだけ『熱』も無いわけよね。)

少なくとも僕は昨年指摘された反省点を実行した。そのつもりは無かった

にせよ(指摘した当人が)である。鵜匠自らが自腹切って、誠意持って鵜飼

に挑んでいるんだ。船頭らを楽しませることも出来ない会社がなぜお客さん

を満足させる考えを生み出せようか、と思う今日このごろでありまする。

  情熱は職人に一夜城をも造らせる。いや情熱だけじゃ〜無理ですね。

それを伝えてかつ楽しませることが本当の経営者でしょ?頭でしょ?

労い(ねぎらい)無しじゃ〜ね・・・。

今度嫁さんどこ連れて行こうかなー・・・(汗)


10 月 23 日(Thursday)
  今日の日記もほぼ書き終えあとわずかだった・・・。母が寝ぼけた顔で来て

『まだやっとるの。あっアイロンのコンセント付けっ放しやん、も〜。』と何やら

横でぶつくさ嫁の文句。目もやらず集中して気のない声をやっていると直後に

画面がプツン。???えっ、ええ・・・あれれれっウソー、なんじゃこりゃ〜!!

松田優作にもなりますわ。

  寒気流入の最中、夕方日の暮れ網持って長良川に入りまして幾多の修羅

場潜った血まみれとなった大きな落ち鮎を捕まえ、逃した一大スペクタクルの

物語だったのですが・・・ シュール過ぎたし、まぁええか。

本日は無駄死にとなりまして、寝させていただきます。





10 月 24 日(Friday)
  岐阜県は関市。鵜飼も終わり静かな小瀬である。どうだんの秋と落ち鮎を

味わいに遠方より俳人が訪れるそうである。朝から竹ぼうき持って庭そうじに

汗も落ちる。

  夕方日も落ちかけて鳥屋で鵜に餌を与えていますと外でチビの吠える声。

お客様がみえた様子。遠巻きに餌やりの様子を御覧になってみえた。

  なかには有名な俳人もいらしたようです。

  ぴょんぴょんっと先行く兎のような秋、なんてね。ついこの間まではビール

ばっかり出てたのに、知らぬ間に乾杯がお酒の熱燗である。しかも今や秋を

楽しむ代表的な飲み物の一つの『赤ワイン』、なども。

  子ウルカがいい味出てきたのでお出しするが、やはりワインには合うまい。

酒飲む席では進もうが・・・。試しに赤をグラスに注いで口につまめど・・・・。

やっぱりビールでも焼酎でもない。酒だな〜。





10 月 25 日(Saturday)
  昼から2時間ほど出かける用事があり、父に椿の移植を待っててくれと言

い残した。遅れて3時過ぎに帰宅すると既に椿の木が別の場所へと移動して

あった。『いつになるか分からんかったからお前の息子に手伝ってもらった。

よ〜手足となってくれて、お前よりもよっぽど・・・。』 だと。

  近く保健所の方がみえて鵜の健康診断が行われるので鵜の嘴の手入れ

を餌の前にする。最近鵜の食が増えた為やたらと噛みつかれることが多く血

を見ない日が無い。鵜飼終了間際なんて餌が終わった鵜が籠から出てきて

餌やる僕の手に喰らいつき、手を上げると鵜がそのままぶら下がった状態に

なったこともあった。

  尖って突き出た部位をハサミで落としサメ皮で丸く仕上げる。歯も尖りを無

くして、足の爪も伸びたところを切ってやる。最近はとくに川床に石が減った

せいでシーズン中も嘴がつんつんである。昔は春先の餌飼の時期なんかは

石の隙間のドジョウの群れを咥えるので、川から上がった鵜の嘴を触ると

熱っていたと聞きます。つまり控えの鵜は手で食わせてあるので伸び放題も

甚だしいわけである。

  夕方。裏の川原に出てみるとなんときれいな夕焼けか。赤く燃えるような雲

は稀に見る色合い。しばらく見とれてしまった。


10 月 26 日(Sunday)
  今晩から消防団の旅行であり、僕は鵜のことを済ませてから夕方に落ち

会う予定である。

  明後日に鵜の検診を控えており、今日は朝から鳥屋の掃除をいつもより

マメに行った。戸を外して天井や壁のほこりを落として・・・・。ただ父のいう

ことが最近になって耳に入るようになり、普段からきれいにするよう心がけて

いるので数年前と思うと楽になった。

  毎日の掃除が大変だけれど習慣になってみればさほど苦痛もない。とゆう

かやらずにいれないだけである。



10 月 27 日(Monday)
  酒飲むと必ずと言っていいほど3時間後にきっかり目が覚めてしまう。

昨晩も喉が渇いて4時に目が覚めてしまい、寝ようとすると寝れないもので

おまけにうとうとしかけると四方から大イビキが・・・。夜が明けてしまうぅ〜。

  結局7時までに一時間ほどは寝れただろうか。急いで朝食を済ませて家

へ向かう。雲一つなく晴れわたる気持ちのよい日である。

  鳥屋から鵜を一斉に放ち、猛ダッシュで掃除をし、次いで長良川沿いを犬

の散歩して・・・再び消防団の仲間と落ち合って楽しい一日を過ごさせて頂き

ました。帰宅して鵜に餌を与えた後、明日は鵜の検診があるので、日も落ち

暗くなった池に投光機を当て掃除を。

  池の上にある美男葛(ビナンカズラ)の赤い実が葡萄の房のようにいくつも

ぶら下がっている。これほどの数が実るのは初めてのことだ。けどカラス瓜

同様食べれないんだなと考えてしまうのは秋のせいか。そのわりに体脂肪率

6.6%はちとヤバく、鵜の食欲が欲しい今日この頃です。まずはタバコを控

えんことには・・・。


10 月 28 日(Tuesday)
  今日は鵜の検診がありました。鵜飼シーズン前後の年2回、家畜保健所

の方に来て頂きまして鵜がマイコプラズマとゆう伝染病にやられぬよう注射

を打ってもらうのです。検査のために老鵜、中堅鵜、若鵜の3匹の採血もし

ました。数年前に緑のマットに変えてからは踵瘤症も無くなり、気持ちの面

では楽になったが掃除は相変わらず大変である。特に今の抜け毛が多い

季節はマットに絡んだ羽を取り除く作業がもー・・・ね。

  先生が手馴れた手つきで注射しながら僕に聞く、羽虫は大丈夫かねと。

昨日の先輩鵜匠宅では結構発生していたとか。実は2日前に僕の首筋で

もぞもぞと感じ触ると1匹付いていたので大量発生する前に早くやらんと〜。


  2時頃。雲行きがおかしくなって来たので鵜を鳥屋へ追い込もうとした時。

チビの『ゲン吉』が中堅鵜に横ヤリ受けて側溝に右足を滑らせてしまった。

スッテンコロリン!全く足が動かない様子。片足引きずりなんとか軒下まで

行くやペタンと座りこんでしまった。両腿で抱きかかえるようにして足触って

診ても骨折しているようでもない。動物病院も5時からの診察と言われ様子

を見ることにした。

  庭で蛙がおると騒ぐ坊主。見ると同じく右足ひきずっており、跳ねることも

できないみたいで・・・やな感じである。犬のチビはチビで散歩中に変なもん

拾い食いしてカエルみたくゲーゲー吐いてるし・・・。

  1時間経って見にいくがやはり右足を投げ出して伏している。ため息つき

ながらしゃがみ込み、真ん前にいる『尾白』を見た。すると首元で小さな埃?

の糸のようなのがきらりと光る。鵜の羽の隙間を浮きつ沈みつ・・・羽虫だ!

  大至急一人で羽虫除去作業を行いました。おしばらく籠の中に入れてお

かなあかんので、餌やりも夕暮れ後となった。

  鵜を皆別の鳥屋籠に移し、先ほどの置いてあった籠を片付けると『尾白』

を中心にして老鵜3匹に羽虫が付いていたようで、ぽろぽろと落ちていた。

見つけれて良かった〜。遅れると羽が抜け落ち体が乾かなくなってしまい、

年寄りだと衰弱してしまうのです。

  足をやられた『ゲン吉』も2本足で立っており元気になったようだ。チビも

吐くだけ吐いてさっきまで見向きもしなかったパンの耳にもがっついてる。


  夕方には秋だというのに大きな入道雲。夜には時折夕立のような降りに。

久々のおしめりとなったわけだが、何やらたて続きに異常事態の降り注ぐ日

となりましたわい。


10 月 29 日(Wednesday)
  本日は晴天なり。昨日の雨でまだ紅葉しきっていないモミジの葉が池の中

に散らばっていたのでタモですくい上げる。鳥屋に入り負傷した鵜の様子を

見るとまだ籠のなかで片足上げて痛そうである。今日は一日中庭隅で籠の

中に休ませておくことに。もうすぐ弥勒寺にある父の陶芸場の庭の松の剪定

が始まるので今日は親子三人で昼間ぶらりと行ってきました。イタリア料理

のお店『イル・カミーノ』へ。うまかったな〜、肉のラビオリ。僕の好きなトマトと

バジルのソース。一人前で足りるわけがなく、もちろん二人前。ここのチーズ

とお米の入ったトマトソースのコロッケが坊主のお気に入りなんです。関にも

こんな本場仕込みのイタ〜リアンがあるのはとってもうれしい。大学生の時分

は大阪で大変お世話になってた『かりん』というお店のなかの僕の兄貴分に

ガーリックトーストを教わり、よ〜朝からにんにくの匂いをプンプンさせており

ました。冷蔵庫のなかにはトマトのコンカッセ(細かく角切りしたもの)必需品

でね、こんなこと書いてると久しぶりに食べたくなりますな〜。
 
  その後各務原までドライブ。途中カーステのラジオから聞こえてくるビート

ルズの『ワインディング ロード』。誘われるようにして目の前に入ってきたの

はコスモスの咲き誇る畑。宇宙人さんらが見てきたほどの一面・・・とはいか

ないだろうが素敵な光景にしばし車のスピードも緩んだ。刈り入れ作業の済

んだ畑には藁が束ねて干してあり、キジやら鷺やらが舞い降りてたり。

  帰りはお決まりのコース、おがせ池。きん肉マンの唇のようなばかデカイ

鯉にしこたま餌をやって楽しみました。池の中に祀ってあるお社の石垣には

川鵜が数匹、羽を広げて休んでおりましたがここにいるのは大きなのばかり。

小さな魚を選って捕まえるのは至難では?でもくつろいでいるとこ見るとしっ

かり食べてんでしょうね。

  夕方5時過ぎ、関動物病院へ鵜を連れて行き触診してもらうと先生も?・・。

]線写真によって剥離骨折と判明しました。二週間もすればくっつくといわれ

ました。しばらく退屈な時間を過ごすことになろう。でもポキッといかず本当に

良かった〜。


10 月 30 日(Thursday)
  夏の冷温多雨?とは対照的に暖かい日が続いています。

  朝起きて長良川を見下ろすと川底が濁ってみえない。一昨日の雨では増

水すれど水も濁らなかったのになぜ今日は?と不思議である。10時頃に

訪問したCBCTVのディレクターさんはもっときれいなんですか?当然っす。

同行された観光課の方からはたぶん板取川の河川工事によるものだろうと

聞く。まだまだ岐阜県は災害の危険性と地域住民の安全配慮を掲げ、実際

は継続的な予算費捻出による使わねばならない金の捨てコンに・・・。所詮

アメリカの真似しても日本は本来川や山の無い地域など無い国。猿と言われ

ても真似るところが違うのにな・・・。瀬の激流や落ち込みが減って平坦になり

川床に石が無くなる。おそらく今年とは対照的に高温少雨の夏となる年が出

てくるであろう異常気象。結果的に水中酸素濃度が極端に減り、鮎の大量死

は避けられない環境が出来上がりつつある。それまでにNPOが地域住民を

漁師を、鮎料理店や旅館街を、どれだけ説くことが出来るか。行政なんて数

巻きこまにゃ動かんし。岐阜の人間ってそうそう熱意は伝わらん性格やって。

  11月の撮影日程を話した後二人は円空資料館に向かわれると聞き、まだ

の僕も同行させていただく。建物の正面玄関入ると対面の扉は開け放たれて

おり、秋の風が、秋の日差しが直に建物の中に入ってくるとゆう何とも不思議

で心地よい感じ。黒塗りの木造建築でモダンでかつ温かみがある。館内自体

はさほど大きくないが気持ちのよい空間でした。何と言っても円空入定の地

なのにさほど知識と実感の無い僕にとっては価値のあるものであり、観光客

よりも周辺地域の人間がまず訪れるべきやと。ただね〜、食事やちょっとした

コーヒーなんかくつろげる場所が欲しいところでね。この館内にあったら最高

なんだけど・・・。いかにも飲みたくなる雰囲気ある建物だけに惜しいと。円空

談話もさぞかし咲くことだろーになー。

  午後は立ち寄られたeねっとのおっちゃんと小瀬鵜飼の展望を話す。結局

はいいモノ持ってても何かが足りない、というか惜しい円空資料館のよう。

その『寂しさ』のようなものが今の旅行者には魅力的にも映るかも、とゆう話。

でもささやかなりにもひたむきさや熱意が注がれる部分、そして集客の宣伝

力が足りていないのは否めない。どこの鵜飼を見てきてもやはり小瀬鵜飼が

一番だと当事者である遊船会社が言っているだけのうちは日の目を見ない。

  団塊の世代はもちろん日本の発展の功労者だけど、闇雲に先に進めば良

かった時代でない今は後手に回る。それゆえに若くて古風とゆう一風変わっ

た人間の多いこと。30代後半のおじさんかと思ったももぞうさん、僕とさほど

年の変わらぬ女性でバリバリのキャリアウーマンだったとは・・・。

  わからんもんですね。御見逸れいたしました!


10 月 31 日(Friday)
  曇っているわりには暖かな日でしたが、昼間っから庭じゅう秋の虫が鳴い

ている。嫌なカメムシも今日はやたらと目にしまして、夜なんか風呂の湯を

止めに向かうと湯舟に浮いてたり・・・あの嫌〜な臭いは出ていなかったが

気分が悪いもんです。

  今日から残っている松の剪定でもおっ始めるつもりでしたが父が石を運ん

でくれ、ほんの10分で済むから・・・と頼まれせっせと大きな敷石を運ぶ。

亭(ちん)建築予定の場に敷きつめるもので、50cm四方の平らな石。大きな

ものは1mある。運ぶだけで終わるはずなく、あっちへこの石を、いや元の所

に戻せと父。振り回された挙句にこちらも知らずと乗せられ、いやこっちなら

どうかと。さんざん肉体パズルの手足に使われること2時間。年寄りはどうも

時の経過が遅いらしい・・・えらく長い ”ほんの10分” となりました。

  鵜のゲン吉は少しずつ回復に向かっているようである。ただ四六時中籠の

中にいるので相当不機嫌でもある。一昨日前は動物病院で怖い目に会って

餌は一匹しか食わず、昨日は己だけが籠の中と不機嫌で一匹。さすがに今

日は腹も減っており三つ食いました。足の剥離骨折。食ったぶんだけ体重が

重くなり負担となるので結果的には良かった。