†  Diary - 2003/09 -  †

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09 月 01 日(Monday)
 連日の忙しさで今日は休みをとった我が家。父だけが朝から松の剪定をし

ている。いつもなら手伝う僕も少し夏バテ気味で休養をとる。昼間にお客さん

が鮎を食べさせてほしいと訪問した。今日うちは前から休みと決めてあるが

そんなはずはないとお客さん。以前にもみえたらしいがどうやら間違えて他

店を予約されたらしく、しぶしぶ帰られました。

 今日は観光ホテルさんのお客様の都合で8時(2部の時間)の鵜飼となる。

一部の時間帯は夕立雨が降りしきり、結果雨上がりの靄のなか名実ともに

幻想的な小瀬の鵜飼となる。

 ここ5、6年の間に鮎の数はめっぽう減り、お客さんの舟や鵜舟に鮎が飛

び込むようなことはほとんど無くなりました。それまではよく見られた光景で

お客さんらが喜ぶ自然のオプションでした。

 忘れてたが久しぶりに昨日、鵜舟に鮎が1匹飛び込んできた。船縁下部

にもこつこつと多くの鮎がぶち当たった。上流部の鮎はすでに『ひねた』そう

であり、これからは集団となって七つ岩あたりでバシャバシャやりにかかる

ことだ。

 今日は20匹ほど魚を咥えたが大きくても13cmほど。緩めてあった為に

ほとんどは鵜の胃に入っていった。卵を持つようになると鵜に食わせてやれ

ないので今のうちに食べさせてやる。鵜の体調を崩してしまうのです。





09 月 02 日(Tuesday)
 汗ばむ残暑が続いている。昼食前のこと。昨晩掲示板に書き記したように

母屋の仏壇前へ行き、位牌を畳の上にずらっと並べては書き写す。途中に

坊主やって来る。口だけで相手してるとチンチン打ち鳴らし始め、知らぬ間

にありったけの線香を器に突き刺していた。叱ると今度はこれ何て書いて

あるのとしつこく聞き始める。『この人はね、じい様のお父ちゃんだよ。戦争

で鉄砲に撃たれて死んじゃったの』 『誰が?』 『何で?』 『どうやって?』

と、きりが無い。これはじい様のじい様の・・・・。???? ご飯食べてから

再び邪魔が入らないうちに書き写す。

 夕方お客様が見える前、手土産に焼いた鮎持っておっさまのところへ。

暇な日を伺ってお願いしようと出向いたのだが、玄関先のおっさまの手元

にはすでに過去帳が・・・。お言葉に甘えて少しだけ時間をいただく。

(この続きは歴史を探るページに記載)

 いいところで家から呼び戻しの連絡です、とお庫裏さん。日を改めることと

なり、再度おっさまにお願いをする。

 鮎を焼いてると自分もよだれが出るくらいである。子持ち間近の鮎は黄色

の脂が表面に溢れ、焼き上がりは将に金色(こんじき)となる。これからの

お客さんで子持ち鮎を狙って9月下旬にみえる方も多いが、短い今の時期が

最もおいしい。産卵という一番の大仕事を前に力(脂)を最も蓄えるからだ。

 
 今日は本来なら鵜飼はうちの番であったが、明日から現在鵜匠代表の

岩佐さんが鵜飼サミットに向かわれる為、順序入れ替わり。

 鵜飼が終わるのを待って下船されたお客様を庭で迎え、待たせておいた

鵜に餌を与えて説明をする。

 しかし、蒸し暑い夜だ。この暑さに狂い、大きなスズメ蜂が何度と街灯に

ぶち当っている。それ見て思うこと。例年なら旅館前の乗船場の街灯には

小さな虫やカゲロウ、蛾で通れないほどになるのだが、今年は冷夏の影響

か河川の砂漠化のせいか・・・少ないのではなく、ほとんどいない。


09 月 03 日(Wednesday)
 『船頭さんがみえたよ〜!』 朝、嫁に叩き起こされる。観覧席に奥さんと

2人待ってみえた。毎年恒例行事『風の盆』に昨夜行ってお土産を持って来

たとか。去年はCDを貰いました。今年は坊主にまで・・・TV番組でやってる

『変身装置』らしきものを貰ってしまう。チャンバラ用のおもちゃの剣は何本

もあるがこのようなものは初めて。お客さんらが庭で鵜を見学なさっている

間中、ビービー鳴らしてうるさかった。よほど気に入った様子である。

 今日から庭師が入る・・・全く気が付かなかったが表の庭隅にある松の木

が松喰い虫にやられて茶色になっていた。時、既に遅し。そういや数日前、

たまたま目をやり、枝の一部が変色していたので折れているのか?と思う

に留まったのだが・・・入っていたんだな。どちらにせよ間に合わない状態

だったが惜しいことをした。去年も樹齢100余年の松が枯れ、その10年前

は門構えの松。これなんかは数百年経ていたが、小さな虫1匹でも歴史は

灰へと変わってしまう。もちろんかがりの火としてありがたく使用す。


 夕方いかにも蒸し暑い。美しい夕焼け空がしばしそれを忘れさせる・・・。

 今宵の鵜舟、うち1隻。今日も舟に乗ると言ってきかない。風が吹いて火

の粉も舞おうか。暑いが長袖着せて頭には黒い手拭い、僕の腹巻つけさす。

小さなオヤジの出来上がりだ。

 僕が言う前から大きな声で『ホー、ホー,ホー・・・』 と鵜に声をかけ続けて

そのせいか、今夜は小さな魚をけっこう咥えました。良い労い(ねぎらい)の

鵜飼となった。明日は鵜の毛艶もいいことだろう。

 鵜籠担って屋敷へ戻ると見知らぬ若い夫婦が観覧席に座っておられた。

もちろんうちのお客さんではなく遊船会社のお客さんらしい。『けしからん!

人の家に勝手に入り込みタバコをふかして見学しちょる!!!』

 大人の私?は頭切り替えまして(どうせ暇だったし)、パンフレットを片手に

持参し営業トーク!『小瀬の鵜飼は初めてですか〜?』 と少し引きつった

ニヤケ面で・・・知らぬ間に30分も話しこんじゃいました(笑)。

美濃加茂の居酒屋『米八』の若旦那だとか。

 今度行ってきます。日本昭和村の帰りにでも・・・



 

 


09 月 04 日(Thursday)
 久しぶりにからっとした天気。幾分風が吹き通り、さほど気温も上がらず。

それでも暑い日に変わりはない。

・・・鳥屋の掃除中風景・・・庭師さん達は昼食後観覧席の長椅子で横になり

一休みすべく、扇風機の風が皆まんべんなくあたるように調節しておられる。

若い鵜達は池の中で羽をいっぱいに広げ、バンバンと水に打ち突けている。

古参の鵜達は軒下で目を瞑って昼寝中・・・僕は汗水垂らして掃除中・・・。


 今日は小さな腰蓑と着物携え鵜舟に乗ると張り切っていた坊主。吐籠に2

つの腰蓑入れて船着き場へ行き、会うなり船頭に小さな頭垂れる・・・がすっ

かり忘れていた。今日の鵜飼には音声取材の船があると昨日聞いていた。

 一つ返事で乗せてやると言って、しかも初めて腰蓑着けるとまで言ったの

で僕も大変嬉しかったのだが・・・。

 雨が降るとか雷が鳴るかも知れんだの諦めさそうとするが 『乗る!』 の一

点張り。結局怖いおじさんが来るからというと黙る。

 しばらくぶすっと口を尖らせて鵜船をじっと眺める姿に船頭らは大笑い。

するとしぶとくも今度はお客さんの乗る遊船舟のほうへ行って乗ろうとしたり

で・・・誰に似たのか心底諦めが悪い坊。

 勢いあるかがりの炎。それでも咥えたのは小さなものばかり。20匹くらい

だろうか。吐け籠に残ったのはわずか7匹の鮎。それでも 『鵜匠さんの声が

とても素敵でしたよ。』 一月前にもみえたお客さんがたで、今日は家族揃っ

て泊まりがけでお越し。毎回どれだけの魚を咥えるのか分からないのに

風情だけはある小瀬の鵜飼にようこそ・・・。庭ですべての鵜を放って水を飲

ませた後に、鵜を前にして皆で写真を撮影。

 今夜は涼しい夜。知らぬ間に蝉、蛙の鳴き声は薄まって、聞こえてくるは

秋の虫の音。


09 月 05 日(Friday)
 昼前のこと。

『あっ!蟻がおる!』 と坊主。見ると観覧席の机下に置いてある鈴虫の容器

の中は蟻だらけ。その周辺にもかなりの数がたむろしている。

昨日まで秋の音を奏でていた30匹の鈴虫は皆ひっくり返り死んでしまった。

僅かに数匹が足を痙攣させていた。例の噛む蟻だった。今までこんなことは

なかったが、今年は足に7箇所、体に5箇所も刺されて初め3回ほど腫れた。

後はその都度ぎゅっと摘んで汁を出し、アロエを貼っておいたら腫れずに済

んだ。今年大きなムカデに刺された時もこの対処で全く腫れなかった。虫刺

されにはやはりこれが一番のようだ。年寄りの知恵を馬鹿にしちゃならん。

 昼過ぎに関市の観光課の方が観光ビデオを数年前に制作、指揮された人

を連れてみえた。去年僕が異例の早さで正式に宮内庁式部職の鵜匠となり

それを受けて父17代目とのすり替えの収録をしていただけるとの話でした。

 今日の鵜飼は呼ばずとも坊主同乗。日の落ちることの早いこと。あっという

間に辺りは暗闇に包まれた。船頭らは皆焚き火囲んで前2日に九州で開催

された鵜飼サミットに代表で出席した先輩鵜匠の岩佐さんから、今回茨城県

の鵜捕り場崩落で問題となっている鵜の捕獲に関する話をいろいろと聞く。

そんな中、坊主一人火を背にして腰蓑両手に抱え、遊船の提灯眺めながら

鵜飼の始まりを待つ。

 『ほーほーほー』 と僕が言う前から鵜を励ます。初っ端に5、6匹の鮎を咥

えるが小さい。途中の岩場も細かい魚ばっかりで、残った魚はわずか1匹。

それも恥かしい話だが鵜舟に飛び込んできたもの。かなり立派な鮎でしたが

傷跡も付いてないし・・・1匹。とても見せれなかった。

 けど舟に飛び込むというのはかなりの群れがいるということ。あー、この砂

なからましかばと思えしか・・・。

 おかしなことにTVニュースや新聞において川の保全や美化運動は下流域

で、つまり都市部のほうが盛んだ。実におかしい・・・。今年は異常な冷夏で

徳島では桜が、岐阜ではりんごの花が咲く。鮎もいるのに捕れない・・・・・・

おばけのような年です。


09 月 06 日(Saturday)
 曇り空の下では庭師の手先は軽やかに動き、三日目となった今日の午前

で仕事を終えた。ここ数年で大きな松が姿を消し、仕事日数も減った。

 昼過ぎに魚田さんが到着!どれもこれも見事な鮎ばかり。知らぬうちに鮎

も大きくなった。見定めているといつから降り始めたのか、外は雨がかなり

降っている。慌てて鵜を屋根の下へと追い込んだ。

 夕方。お客様の一行が座敷に落語家談志さんのお弟子さんをお連れで、

その口演を聞けた他のお客さんらには棚から牡丹餅となった。

 今宵の鵜飼が始まる。三艘の鵜舟。くじ順は 『カネモ』 『十(じゅうのじ)』

『まる十』。うちは2番手でした。ここで情景句。

 山裾の 川面に映る月の波 かがり火燃えて 赤色に染まる

鼻で笑われる句だけれど、今年は曇り空ばっかりで久しぶりの絵になった

瞬間でした。今日からしばらくは再び鵜の首結いを緩めて、たーんと鮎を

食わしちゃる。今晩は20匹と僅かばかりの知れた量だったが全部入れて

やった。少なくとも泳ぎは良くなり、お客さんも捕るとこ見る機会も増すし、

何よりも鵜のためになる。本来鵜飼の鵜は、鵜飼の場が餌の場でもある。


09 月 07 日(Sunday)
 朝7時前に鵜を庭へ放つ。胴長を着用し、急いで裏の川へ走っていく。

『そじ』といって、群れとなり落ちてくる鮎を仕留める為のしかけ。数キロおき

に作られ、この時期そこで投げ網を打つ漁師の姿は長良川における一つの

秋の風物詩となっている。今日は朝からそれを作る日でした。

 20人余りの人間が手分けして作業する。杭を3m間隔で打ち込み(昔は木

の杭であり、砂袋と石で固定していたが現在は重機を使用して鉄杭を・・)、

番線と竹(これも昔は柳の枝を使用していた)で両岸を繋ぎ、水面下の鮎の

脅しとする。最後に隙間に石を込めて出来上がりだ。場所によっては完全に

せき止めてしまい、水面から石が出てまるでダムのような所もある。

 昼前には終わったが、かなり疲れた。特に最後の石積み。なんとか顔だけ

を水面上に残して大きな石を起こしては『そじ』まで転がす。その工程の繰り

返しで相当腰に来た。帰って飯も食わずに昼寝をする。

 今日の鵜飼。月夜の明かりを避けるようにして山際を鵜舟走る。

 昨日から一斉に鵜の首結いを緩めた為、生き生きとして泳ぐ十羽の鵜の

姿は気持ちのいいものでした。ただ一羽の鵜が友切れ(友釣りのおとり鮎

の糸が切れ、針を付けたまま泳いでる鮎)を咥えて飲み込んでしまった。

後方の艫乗りが先に鵜の異変に気付き、遅れて目をやる。

 口から糸が出ており外の喉元あたりに錨針が引っ掛かっているよう。しきり

に首を振っておる。『良かった!やっかいな針を飲み込んでない』 そいつを

手繰り寄せて舟縁に上げる・・・が、針がどこにもない!?慌てて口を開け

ると、ちょうど上手い具合に下の嘴(くちばし)に錨の両足が固定し留まって

いた・・・鮎はすでに胃の中であり、言わばクリフハンガーの状態。

 もう一つの針が鮎本体に付いているであろう。無理に引っ張って吐かすこ

とも出来ない。自分の口を鵜の嘴へやり、やむなく糸を切る。昨日はガリ針。

まぁ、鵜の胃酸は強烈で鉄はすぐに溶けるとは思うが心配である。せっかく

仕込み始めたばかりの若い鵜なのに・・・。伸び伸びと生餌を食わせることも

ままならない。


09 月 08 日(Monday)
 今日は大変疲れた。というのも今日はTVの取材があり、鵜飼終了後に鵜

が捕った鮎を観覧席で焼いて欲しいとの注文でした。

 母屋の中にある予備の篝(かがり)を持ち出し、観覧席に設置し焼き場の

代わりとする。父の若かりし頃、お爺さんがよくやっていたそうだ。鵜飼を終え

てから残った篝の火の中に鮎を放り入れて喰らったと。

 今回は単にコンロの代わりである。父が準備をしてくれる間に僕は買い物

に行くが、車中頭を悩ませるのは鮎のこと。

 昨晩船頭らと話し合って昨日の鵜飼で良い場所は避けたことと、もし不漁

だったら少し下まで下がることにしていたが結果はまずまずでした。

鵜飼の出だしと下流で鵜が手縄に絡まってしまい、鵜が怖じたり咥えた鮎を

吐いてしまったり・・・と困惑の場面も。

 何とか撮影用の数は捕れて安心。

 鮎焼きながらのリテイクに鮎は焦げ、雑炊はぶくぶく煮立つし・・・・てんや

わんやで次第に女将も顔が引きつってくる(笑)。

 10時。もう一回さっきの場所で鮎を焼いて、雑炊を・・・・・・女将も既に気が

触れ 『はい、はい、作ればいいんでしょ!!!』

 11時。鮎雑炊をスタッフに振る舞って、終わってみれば笑って談話してる。

お見送りした後に慌てて機材持って戻り、『もー1カット、忘れてました(笑)』

女将 『・・・(怒)』

 


09 月 09 日(Tuesday)
 先月最後の御料鵜飼の日に、道具を取りに下の倉庫に行った時のこと。

階段に足を踏み入れた時にふと足元見ると蛇がトグロ巻いていた。帰り際も

そこを必ず通らねばならず、棒で突付いて様子を見る。角張った頭でこっち

を凝視しながらも後ずさりした。その隙に跨いで上へ。

 何でこの話をしたかというと、どうやら今年はマムシが大量にのさばってる

ようで、多くの飼い犬が動物病院へ担ぎこまれたと聞いたから。ひょっとして

と家ん中から懐中電灯を持ってきては、たまたま来ていたうちの船頭に見て

もらうことにする。

 『間違いねぇ〜!そりゃマムシだ!』・・・・(最近うちの坊主がハマッている

『ガンバの大冒険』のヨイショの台詞とダブった。マムシ=ノロイ)

 その声駆けつけた女中さんにうちの家族。そしてその中からガンバ登場!

否、父である・・・。棒を突きつけやっつけた。一昔前ならばぺロっと皮剥いで

蒲焼にし、料理が一品増えていたかな。

 その数分後、マムシの呪いか?(笑)雷鳴と共に雨が降りだす・・・

 庭での説明も中止かと思ったらすぐに止みましたが、『まむし』!皆さんも

御用心を。まだまだ残暑厳しいです。

 



 


09 月 10 日(Wednesday)
 家の用事で朝5時起きとなった。坊主も叩き起こして目を瞑ったままトイレ

で用を足させ、車に乗せる。 『出発〜っ進行!』 とわりにテンションは高い。

 一路、名古屋空港へ。着く前からどしゃ降りで、バックミラーに目をやると

北の空は真っ黒だ。鵜を出してこなくて良かった。

 雨もしばらくは止みそうにないので、帰りに河川環境楽園に立ち寄って

家族の時間を楽しむ。

 昼前には家に戻る。長良川は真っ赤に濁っており絶好の『そじ』漁の状態、

投げ網漁師で賑わっている。久々の早起きに体は馴染まず、2時間寝る。

 起きてから鳥屋の掃除をして鵜飼の準備に・・・。川の濁りも大分収まり

天気も回復した様子。ただ依然として多くのゴミや草木が流れて来ており

父も 『自分の腕に溺れないように。こんな水の時は(手縄が)何に引っ掛

かるか分からん。6羽の鵜にしなさい。』 父の言葉を無視する訳ではない

が、来年は新鵜が来るかどうかも分からない為、少しでも使える鵜を養わ

ないと。2羽減らして8羽の鵜に決める。

 暗くなって鵜飼の準備が整い、鵜舟が出た途端に大粒の雨が激しく降り

出す。念には念を入れて脂の多い松割り木を持って来ていた為に篝の火

は消えず、それどころか大雨と共に強い風が吹き炎は赤々と燃え盛り、大

きな鮎を次々と捕らえる。

 嬉しかったのはチビ(ここ数日前から仕込み始めたメスの鵜で、先日の

鵜飼で針を喰らった)がいくつも咥えたこと!首結いの紐は緩めてあった

がまだ喉元に残っていたので押し込んでやる。

 何でか?雨はいつも鵜飼開始と同時に降りだし、終わると同時に止む。

自然はいつも意地悪である。全身ズブ濡れだ。こういう雨にやられた時、

船頭はいつもこう言う・・・『金○の裏までびしょびしょや!』 ・・・。m(__)m


09 月 11 日(Thursday)
 母屋の玄関前に秋トンボが飛び交っている。ただ十五夜にしてはやけに

暑い日で、僕用に残されている松の剪定は一向にはかどらない。


 9日の夜に殺したマムシ。まだ捨ててなかったので火バサミ持って向かう。

驚いたことに船頭の言った通り、別の蛇が匂い嗅ぎつけて近くにいて焦る。

そいつはよく見ると小豆蛇だったので安心したが、マムシはつがいでいると

聞いていたので注意して現場を覗いてみると、その死骸の真ん前に大きな

トノサマガエルがまるで化石のように対座していた・・・10cmと離れていない。

死んでもマムシ。生きた心地しなかったでしょうに。

 夕方から雲が少し出てくる。満月はお隠れあそばせ・・・おかげで無風でも

多くの鮎を咥えお客さんを湧かせる。山際の縦壁で一気に20匹ほどの鮎

を次々に捕らえた。かなり緩めてあるので稼ぎ頭の『潜水艦』は日に日に

重くなってきた。顔艶がいい。鵜にとっても食欲の秋となりにける。

  鵜籠担って屋敷へ歩いて戻る途中に空眺めれば、知らぬ間に雲も消えて

まん丸お月さんが美しく出ている。

 十五夜の 跳ねて鵜担い家路つく 卯年生まれの・・・

 
 


09 月 12 日(Friday)
 なんて暑い日だろう。午前中は雲もあったので松の剪定にとりかかるが、

とてもやっていられない。台風14号の影響か、かなり蒸し暑い・・・。

 冷夏によるものか、もうほとんどの鮎は子や白子を持ちはじめた。例年

と思うと2週間ほど早い感じがする。しかし再び暑さが戻り、しばらく続くらし

いうが鮎の卵が腐ってしまわないか?そんな訳ないが(笑)今年は大きな

鮎が多いみたい。大味のために市場では人気がないのだが、こうでなけれ

ばならない。6、7月は度重なる降雨により、釣り網ともに川漁師が入れぬ

日が続いたため鮎は心おきなく成長したのである。最近釣り師がよく糸を

切られるとか聞く。

 今日昼過ぎに父が郡上の友人宅へ行ったのであるが、そこの家の下には

長良川が流れており、いつもなら鮎の『きらめく』様子を見ることが出来るの

だが、全くいなかったという。当然といえば当然のこと。

 そこは『とろ場』(瀬と瀬の間の緩やかに川の水が流れる区間)。上流部の

郡上といえどもそこには鮎が食むべく大きな石が無いのだから。加えて今年

の冷夏で川の水は温いと感じる日がほとんど無かったために、繁殖の季節

である秋を早めに察知した鮎はすでにかなりの数が下ったそうである。


 再びよく鮎を咥えるようになった。すでに群れの態勢に入っている鮎。鵜は

猟場の真中の七つ岩辺りで一斉に咥えにかかる。数十匹は咥えたであろう。

お客さんもかなり喜ばれていました。鵜もほどよく胃の中満たした。おかげで

吐け籠の中身は大きな鮎一匹だけ。『こんだけ?』 頭っから鵜飼の鵜は喉

締められて魚を全部吐き出させると思っているお客さんに説明。

 野生味を残すための昔からの鵜飼の手法である。もちろんそれだけでは

今の短い猟場で腹を満たすことは出来ず、重さを見てホッケを足してやる。
 


09 月 13 日(Saturday)
 今日もいい鵜飼となった。夏休み明けというのに連休に加えてこの上天気

で小瀬の河畔は大賑わい。昨日、今日明日と三つの鵜船が出揃う。

 昼、鮎之瀬橋の少し先で友釣りしていた1人のおじさんが珍しいものを掛

けた。50cmほどのナマズ。手元まで手繰り寄せたが逃してしまっていた。
 
そういや僕も5年程前に珍しい魚を引っ掛けた。。台風で増水した後の日、

どぼんこをしていた(:糸の一番下にオモリ付けその上にガリ針をいくつも付

けた仕掛けである。その名のごとくドボン!と川底に落とし、上下に竿を揺ら

して落ち鮎を狙う)。いつになく奇妙な引きを見せ、釣れた魚を見てみる。何と

アユカケ(別名;カマキリ)である。

 そして次の年にも御新規さんが釣れました。同じく台風後のどぼんこ釣り。

突然大きな手ごたえで竿がしなりバシャバシャと赤い魚体が覗く・・・。血に

塗れた川鯉かと思いきや婚姻色をまとったオスのサツキマスでした。シャケ

のように下顎がしゃくれて当初はこの厳つい表情に驚いたもの。

 

 



09 月 14 日(Sunday)
 台風の余波は無く、ただただ一日を通して過ごしやすい風が吹いた。

 先日知り合いに貰ったオオクワガタのつがいを大きな虫籠に入れ替えて

やる。例の全滅した鈴虫が入っていた籠に・・・。

 久しぶりに坊主が鵜飼について行くと言うが強い風は止まない。火の粉が

鵜船を覆って熱いから止めるようにと言う。納得いかない様子でバナナ片手

に屋敷をうろうろしていた。大勢のお客さんに鮎焼きを追われていると急に

坊主の姿が見えなくなって母屋の方へ探しに行くと何やらお客さんらの声

が騒がしい。間もなくお客さんがこちらに向かってきては言う。『よー仕込ん

であるね』 ???聞くと母屋の前で記念撮影しようとしてたらバナナ片手に

やって来てど真中に居座ったよう・・・。いかにもずうずうしい奴。

 風に炎は勢いを増し、更に風情ある鵜飼となった。鵜船の中では僕が薪

を組める際に大きな火の粉が中乗りの足元にへばり付き、足をばたばた

やっては消えないので水ん中に突っ込む有様、と大変(笑)。

 鵜飼終わってから屋敷の鵜の庭には60人ほどのお客さんがぐるりと囲み

鵜をじっくりと鑑賞し、説明を聞いていただいた。

 
 今日はなぜか小さな虫がひどく多く、庭を照らす電球の周りでは蜘蛛が

よだれを垂らして待っている・・・。



 


09 月 15 日(Monday)
 今日はお年寄りの方を敬う日とあって御年配をお連れのお客様が目立ち

ましたが、マスコミにおいては日本中の阪神ファンが激震し最も癒された日

となりました。半被着てギター片手に優勝の美酒を飲んでいるであろう、うち

の中乗り船頭には忘れることの出来ない敬老の日となった・・・。

 夕方僕の知り合いの方が二組訪れる。一組は九州帰りで焼酎をお土産に

いただきました。前回のごとく便器抱えるまで一緒に飲んでお話したかった

けれども今回は食事後に大事な用事を控えており、残念ながら叶わず。

 もう一組は何かとお世話になっている方で女のお子様を連れてみえたので

すが、うちの坊主がそれはもうベッタリ付き添って(本当にしつこい程!)・・・

かなり興奮して大変でした。絶えず窓辺に2人寄り添っていましたが、次第に

エスカレートして欲望が抑えれず一度カプッと足に噛み付いてしまい泣かせ

る事態もあり大変御迷惑をおかけした。幼少の頃良い香りのする消しゴムを

嗅いでいて僕は思わず噛んでしまう事があり必ず歯痕が残ったが、一緒にし

ていいはずも無くあやまりに向かう。

 仲がいいのか悪いのか。その後も坊主の蛇のようなしつこさが露呈した。

男のしつこさは見苦しいぞと嗜めるものの、まだ分かりもしない年。

 これからはあまりしつこく相手しないようにしようかしら。どうやら嫁に言わせ

ると僕のせいらしい・・・。


09 月 16 日(Tuesday)
 心地よい風は吹かずまだまだ残暑が厳しいが、田んぼの脇には彼岸花

がちらほら咲き出した。次のまとまった雨が鮎を産卵へと誘うだろう・・・

 
 朝がた鳥屋の掃除をしていると関市の観光課より電話があった。先日話

を受けた小瀬鵜飼観光PRビデオの部分編集の件であり、本日その撮影を

行うと。夕方前の感じでは風が吹きそうになく、脂の多い松割り木を選って

紐で絡げ夜の鵜飼を待つ。

 鵜を縛る際に船の中を真横から強烈な照明が襲い、古参のベテラン鵜が

怖じてしまう。加えて運悪く夜網の船が行く手となる鵜飼のコースを遮って

変更を余儀なくされる始末だった。そんでもって予想通り風もなびかず迫力

に欠いたが時折その思いが通じたのか、火の粉舞う時もあった。スタッフの

乗る遊船が離れてから強い風が吹き出して勢いよく篝が燃えたり・・・やはり

身分相応の見映えとなろうか。丸く赤々と燃える炎は薪組む僕の手を焦がし

鵜飼後もひりひりと熱(ほて)った。

 まだまだ精進の時期であることを忘れてはならない。そう思わせる感じが

心に残った今日の鵜飼であり撮影。

 偉そうなこと言ったり事実以上に見えてしまっているらしい僕。結局はたか

が知れてる二年目の新米鵜匠。思い通りばかりにいく筈もない。

 青二歳だと改めて自覚する有り難い日となった。



09 月 17 日(Wednesday)
 観覧席の杉苔の植え込み。そこに生える黒竹の下に僕の天敵が巣を作っ

ていた。近くに置いてあるオオクワガタの入った虫篭に数匹入り込んでいた

ので跡を追い見つけたのである。危うく先日の鈴虫のごとくなるところでした。

蟻の巣を一網打尽にすると銘打ったゼリー状の液体を散布するが、この蟻

にはあまり効いてない様子。ただ頭を掻いているだけ・・・。

 びっくりして飛び出て来たのは1匹のトノサマガエル。フェンス越し、目の前

の池には元気そうな若鵜が1羽泳いでいる。また前回のように丸呑みされる

のを避けるべく手で行く手を遮ぎった。

 うちは鵜飼は休み。お客様の下船後に鵜匠着物纏い、庭で説明をさせて

もらった。



09 月 18 日(Thursday)
 今日明日と久々の二連休。ゆっくり休みたかったがそんなわけにもいかず

2人を連れて上流の釣堀へと向かうはめになりました。

 前回と同じく美並村の釜ヶ滝へ行くつもりであったが足を少し伸ばして郡上

の大滝鍾乳洞へ変更する。

 坊主は生後10ヶ月の時に来た以来の二度目となる。平日だしこんな山奥

居るのは僕らくらいか、と思いきやでも若いカップルが5組程来ていた。+α

爺さん婆さん数名。


 ニジマス泳ぐ大きな釣堀の池へと坊主はまっしぐらに走って行くが、まず先

にトロッコに乗り込んで中腹にある鍾乳洞へと向かうことに。

 前回と違って物心つくようになったのでひどく怖がっていた。一緒に大声を

張り上げて奥へと進んで行くが、僕の手をきつく握って離さない。

 鍾乳洞の中はとても涼しいのだが、時折僕の背中におんぶお化けが乗り

汗は止まないのです・・・。

 出口に出てみれば頭には次の魚釣りのことしか無い様子。坊主の足どりは

軽く、谷間の急な階段道を走って駆けてゆく。



 1000円で4本の竿を購入するが果たして何匹釣れるだろうか?何とも心

細い糸である。ただこの前釜が滝の親父さんに『奥義』を授かったので妙な

自信だけはあった。坊主だけではもちろんすぐに切れてしうのは分かってい

たが、2本だけやらせる。後は一緒に持って釣ったり・・・知らないうちに熱も

入り坊主にも持たせなくなっていた・・・更に1000円追加・・・。


来た!

 結局釣れたのは2匹のみ。塩と皿を求めにおばちゃんのところへ行くと、

『3人だから喧嘩になるよ。内緒でもう1本あげるから頑張って釣ってみ!』

と粋である。気合というかこれはもう絶対釣らなけりゃならんと精神集中。

そして1匹は釣りおばちゃんの心意気に答えることが出来ました。感謝!

横にある焼き場で3人の口へと行き渡ったが、8割がたは坊主の胃の中へ

・・・。

 小学校の頃一度両親と来た思い出もあるせいかここの雰囲気はとても

好きだ。鍾乳洞出口から下りたところにある流しそうめんを食べた記憶が

懐かしく思いおこされた。人がまばらでも寂びれた感じは無く楽しい時が

過ごせるのは単なるテーマパークとの違いかな・・・。

 鵜飼だけはあるので、しばしの郡上の地を後にして家路につく・・・。
 


09 月 19 日(Friday)
 夕方鵜飼へと出ていくときに厨房入り口で嫁が大声で叫ぶ。蛇だとか。

屋敷内にはマムシも居まいと思いながら駆けつけると小さな小豆蛇だ。

するするっと逃げていった。今年はよく蛇を見る年である。

 お客さん少なく、久しぶりの客船と一対一の鵜飼となった。

小さな魚もいくつか捕らえていたが風もほどよくなびいて大きな鮎は5匹

咥えた。『いい、実にいい鵜飼だった』 と何度も言われましてこちらも大変

嬉しかった。

 明日明後日と多くのお客様が見える。フライにする小ぶりの鮎も大きく

なってきた。開くとほとんどのものが卵や白子を持っている。50匹余りを

開きにしてから鵜の池の掃除。知らぬ間に11時近くになっていた・・・。


09 月 20 日(Saturday)
 この前まむしを退治した場所にまだトノサマガエルが居座っている。天敵

がいなくなったおかげで気楽に構えているのだが実際堀の中から出て来れ

ないようだ。タモで拾い上げ庭に降ろしてやるとまた新たな天敵の登場。

坊主に突付かれながら庭の奥へと追いやられた。

 雨が大粒になってきたので鵜を鳥屋に入れようと向かうと何やら鵜が母屋

の方を見て怒っている。何を怒ってるんだろうと呟くと 『犬がいる』 とお客様。

びっくりして目をやると、1匹の犬が誰もいないはずの母屋の窓の向こうで

何気なく座ってこちらを眺めているので更に驚く!?。実はこの犬、5日ほど

前からこの町内をふらついている迷い犬(・・・でもうちのメルよりとてもいい

匂いがするので室内犬だろう)。

 捨て犬にせよ迷い込んだ犬は決まってうちの辺りにやって来る。しかも鵜

の小屋の際まで。以前カネモのじい様に、昔から鵜は山犬の匂いがする

ので馬が怖がって荷馬車に鵜は載せられない、と聞いたことがあるが関係

もあるのかな・・・。鵜をぼい込んで母屋に急ぐが既に奴の姿は見えず。


 台風の影響か正午より雨降り続く。嫌な雨だがお客さんに良い鵜飼を見て

いただくことが出来ればよし。松もいいものばかり持ってきたし大雨となって

も心配は無い。今日は3隻の鵜船で河原くじの結果うちは二番手。遊船舟の

船頭にうちのお客さんらの乗る舟をつけるよう伝えた。

 よーけ咥えた。終盤、駆けだしの新兵『チビ助』 がその小さな嘴で10秒程

係って手間取るものの、一番大きな鮎を咥えた。お客様は 『おっ、おっ・・・・

おお〜!(拍手)』 と喜ばれるし、僕も心の中で拍手した。途中鮎を吐かせ

損ない鵜の口から川へと落ち 『あっ、あぁー・・・』 と、落胆の声と同時に笑わ

れもしました。(お恥かしいことです。)


 庭へ戻り雨の中子供と鵜をバックに写真を撮ったり、東京からの若いカッ

プルが泊りがけでみえていまして感動の声を聞き更に頬も緩む。

 明日は台風が接近で鵜飼はどうなるか分からない。魚屋さんには良い鮎

が多く入っているみたいだが、鵜飼もまた楽しみたいであろう・・・。遠方から

泊りがけのお客さんが多いので落胆の声は避けたく、キャンセルを促す。


09 月 21 日(Sunday)
 この寒さは何か。昨日までのように半袖シャツのみで過ごすわけにはいか

ず、朝からタートルネック。おまけに台風なんてどこ吹く風。ただただ冷たい

小雨が降り続く一日となる。

 朝の説明を行ってから大至急鳥屋の掃除。急な天候の変化の上に冷たい

雨に体をさらしていては体調を崩しかねない。自然の世界でもそれは顕著で

椿の狂い咲きも多く観測されているようだ。

 『台風の影響は無さそうですが伺ってもよろしいでしょうか?』 昨日の電話

で大勢のお客様が延期となりました。実際鵜飼は行うことが出来、本来なら

三艘の鵜舟が運行の予定であったが一艘の鵜舟で十分となった。

 関市のある会社が毎年抽選でうちに顧客をうちに招待。今年もラッキーな

二名三組様が他のお客様とともに来店されました。それに当って来られた

一組はなんと中学時代の音楽の先生。帰りがけに5円玉を編みこんだ亀の

かわいいキーホルダーをいただく。


09 月 22 日(Monday)
 冷夏により不作が心配されながらも田んぼに実る稲穂。そしてあぜ道に

咲く彼岸花を揺らすのはすっかり秋の風だ。小さい頃はどうにもあの 『赤に

黒の点々』 が、毒っぽくみえたのか怪しい色彩が嫌だった。いつ頃からそう

で無くなったのかは分からない・・・・。

 メル(犬)と散歩しながら思い出そうとして長良川の堤防沿いをゆくがその

記憶は出てこない。そうしているうちに茂みからひょっこり頭を出したのは先

日の迷い犬。

 うちの犬に怖じ気ずきながらも僕の足元まで来て服従のポーズをする。

芸を試すと座るし、お手おかわりもする・・。どうしようかしばらく考えてみる。

庭に入られてオシッコされたり、また母屋に居座られても困るので連れて帰

り警察、保健所に連絡。警察からはこう言われた。 『保健所で半年は面倒

見てもらえるが飼い主が出てこなかったら足立さんとこで見てもらうか処分

ということになります。』 う〜ん・・・

 5年ほど前に犬山の学校グラウンドで羽が折れた川鵜が巡り巡ってうちに

預けられたことを思い出した。同じように 『鵜なんて飼ったことありませんし。

・・・今のところキャットフード食わせてます。そちらで飼ってもらえないなら

こちらで処分するしかありませんわ。』 ?!って動物病院が何考えてんだと

変な責任感が(出なくていいのに)出てしまい、断わったら悪者のような・・・。

犬山にも鵜飼があるやろ!あっちの鵜匠のところへ持ってけばいいのに!

と思いながらも安易に『半年だけなら』と引き受けてしまう。結局1年半面倒

見たがいつまで経っても馴れず直らず、僕の手は毎日血だらけの日々を過

ごす事となった。

 
 あーどーしよう。母屋の軒下で寝ている奴さん。

名前も無いのに 『おいで』 と呼べば、うちの犬より早く戻る・・・。

 とりあえず、飼い主が早く名乗りを上げてもらいたいものです。



09 月 23 日(Tuesday)
 朝鳥屋の掃除をしていると何やら池の中で鵜が騒いでいる。すると若い鵜

がトノサマガエルを咥えており、他の鵜が餌だと思って群がっていた。すると

食べるつもりは無かっただろう若い鵜。取られちゃならんと思わず飲み込む。

夕方庭の隅を歩いて見て回るものの吐いた形跡はない。

 以前隣のじい様に鵜がネズミを食ってしまった話を聞いたことがある。まだ

餌飼が行われていた時分だから昭和初期の頃だろう・・・。愛知県の川まで

泊まり餌飼に行ってたある日のこと。川に浮かんでいた腐ったネズミを鵜が

飲み込んでしまったらしく、鵜を逆さまにしても魚と違って出てこない・・・。

数日はフラフラしてたがしばらくすると元気になったとか。

 蛙1匹ごとき何ともないか・・・。


09 月 24 日(Wednesday)
 雨一色の一日となった。

 鵜も外へは出しておれず、朝早めに掃除して軒下へと追いやった。

今夜の鵜舟は一艘のみでうちはお休み。休みといへどもやることばかりだ。

 この雨で鮎は一斉に落ちにかかり、産卵の準備となりそうである・・・。


09 月 25 日(Thursday)
 よーけ雨が降り続き止みそうにもない。伊勢湾台風から44年目にあたった

そうだ。先日お知り会いの方に当日の旧鮎之瀬橋(吊り橋)を写した写真を

頂きました。今の橋よりも少し下がったところにあったみたいだが、激流は

完全に橋の上を覆っていました。その水の出方は凄まじいもので、この辺り

特に池尻区は大半の家が水に浸かった。写真からもその様子が覗え、屋根

のみが見えている。当時のことで美濃市のお年寄りにとんでもない話をお聞

き驚愕する。『あれは板取の上流部のダムを一気に排水したからだ・・・。』

もちろん誰にも知らされていないことであり、それによって家屋を流された人

は多かったそうだが当時の人間でそれに楯突く人はいなかったようだ。しょう

がない・・・かったのだ。決壊となったらもちろんさらに甚大な被害ともなった

だろうし。でも今なら大問題となっているに違いない・・本当ならばだが、多く

の方が語っている話である。

 強い雨のわりには長良川の水かさは思ったほど増えない。東海豪雨の時

もそうだが、ここ最近は下流部のほうが激しい雨の被害にさらされている。

今年は台風による洪水が今のところないが、いかにも天候不順な年であり

安心は出来ない。

 予想以下とはいえ鵜飼は出来なかった。ただ鮎料理を楽しみにみえたお

客様ばかりで良かった。今日のお客様すべての組の方が道に迷い電話口

にて誘導され到着。着いた中のお一人様が 『なんや足立さんとこか!』 実

はこの方8月にも見えた方で、お知り会いのグループにいい所があると誘わ

れて来たとか。そして来てみてビックリ・・・。8月の鮎よりも更に美味いと喜

ばれ(前日にも鮎料理を他で召し上がって来たそうであるが)、ここに来て再

度太鼓判をもらう。自信を持ってお出しする長良川のみの天然鮎ですから。

 そういやお客様がみえる昼前に某タウンガイドの営業マンがみえた。岐阜

市エリアの雑誌だそうだがうちにも一口誘いが来たのだ。1時間程お話させ

てもらいとりあえずお断りということに。雑誌にせよネットにせよいくら大きな

所でも『鵜飼』というカテゴリが欲しいところ。地域の発展があって広告業が

成り立つのですからもう少し・・・という話。金もうけ業ってすべてに通じるん

ですが畑作って種蒔かんとね。この方以前に広告業会にいたそうであり何

かと話が通じまして、そうこうしてる間に雨も小降りに。帰り際、鵜を庭に出す

ところをお見せすると 『何か本当にうれしかったです!』 と笑顔で帰られた。

 人によっては若いたわけ者の話と聞いたろうが、この方。

少しは僕のガンダムのような情熱を感じてもらえたであろうか?

燃え上がれ〜、燃え上がれ〜・・・。



 


09 月 26 日(Friday)
 秋晴れの陽気となった今日昼過ぎ、古田さん(鵜飼写真家の古田正巳氏)

がこの間撮った写真持って訪問。例年の展覧会の時期も差し迫って何かと

忙しい様子でした。

 異常な冷夏となったこの年であり、残暑も明けて涼しくなってきたもんだと。

そして昨晩から再び暖かくなったと思ったら今朝の北海道での地震。古田氏

と父の3人で地震談話。

 父幼少の頃、屋敷表で防空壕を掘っていたところやけに体が揺れるので

頭上の穴を見上げると電線がひどく波打っていたと。最初は爆撃かと焦った

ようでした。かの福井地震である。当時は地震が多くあったように感じたと父

。 追って戦時中の話となり古田さんが空襲時の様子を聞かせてくれた。

『僕のような三男は国の消耗品の為に生まれたような時代やった。志願して

グライダーにも乗った。あと半年長引きゃ片道分の燃料積んでここにおらん

かったわ・・・。上見りゃどこもかもB29ばっかであらけない数やて。一面や

もん。たまに地上からこっちの飛行機が単発で上がったと思うと即打ち落と

されてね、鵜の群れに蜂か蝶が飛んでくようなもんやった。ただ、それでも

行くんやからね・・・凄いよ。考えれんくらい。』

 都市部に降った焼夷弾の雨は遠く離れた田舎からはきれいだったと。もち

ろん本当に感動して見てたはずはないだろうが、そのくらい鮮烈に焼きつく

光景だったろうと、非体験者ながらも思った。『あれ(焼夷弾)はザーっと聞こ

えるうちはいいんや。遠くやから。ヒューッと聞こえたらやばくてな、上見ると

真上から落ちてくるのが見えるんだ。こりゃあかん!と思ったら風で逸れて

ほっとした・・・。』 と父が続いて。


 鵜飼は今晩も出来ず、お客さん終わって池の掃除をしていたところ遊船の

舟頭 『頭』がほろ酔い気分で犬の散歩がてらにやって来た。僕の話相手に

するため生ビールを一杯さしあげ、僕はデッキブラシで擦りながら

終わってから対座しタバコ吹かそうとすると 『飲みゃ〜』 ・・・一口分残してく

れていたとは粋な親父だわ。最近この界隈じゃ〜あまりおらん人種です。


09 月 27 日(Saturday)
 秋風強く吹く長良川沿いをメル(愛犬)、チビ(捨て犬)連れて散歩する。

高く伸びたススキの花はまだ若く、赤紫色に照り輝いて揺れている。

 子持ち、白子・・・満タン目前の鮎を今日も大勢のお客様が楽しみに来て

いただける。しかし、何と言っても今日の鵜飼はお客様にとって迫力があり

大変喜ばれた。古田さんにも昨日お誘いしておいたので同乗しての鵜飼。

今宵の強い秋風にかがり火は長く赤々とした尾をなびき、更には洪水後の

初川である。立派な鮎を咥えたり。拍手も風と共に・・・。

 やはり風強く吹く日は気分も高揚する。鳥屋に鵜を追い込んだあとに電灯

に舞う虫の多いこと。今年は冷夏のせいで飛ばなかったが秋近づいて時期

遅ればせに飛びにかかったようだ。

 鵜飼日数も残りあとわずか。新鵜も今晩から連れて仕込みにかかる・・・。



09 月 28 日(Sunday)
 早朝から2匹の犬連れて長良川沿いを散歩する。旅館前、瀬肩の『そじ』に

は多くの網漁師が立ち並んでいるが鮎は回さない。一昨日の大雨はヤナ水

でして大量の鮎が水揚げされ(誇張もされていようが)、上流部の旅館が買

い占めたそうである。

 水が高けりゃ場所によっては川幅8割を占めるヤナで捕られ、渇水となりゃ

夜網漁で捕られ産卵期を迎える鮎は数`ごとに設けられた『そじ』に捕まる。

遡上率の低下と河川環境の悪化に対して従来通り行われる鮎漁全般。放流

鮎とは違った『鮎の呼び戻し』が紙面等で叫ばれている。長良川筋の旅館経

営者にとっては素直にうんと言えないところであり(もちろんうちもそうである)

全部を行わない年は無理としても大規模な漁業方法は許可の年、地域を隔

てたほうがええんじゃないかと。ある時を境に大半の鮎料理店が消えてゆく

より将来的には・・・と真剣に考えてしまう。。漁業組合でそのようなことを統括

するのはまず無理やと思うし、やはり地域の観光における将来像にも関係が

あるため合併後に自治体含めた協議となる必要があろうかと。あるいは排水

の整備だとか今までの杉やらヒノキと変わって大規模な広葉樹の植林事業

とか・・・。道路族が蔓延り、その建設材料となる親会社が団体のトップなんだ

からそんな大きな路線変更は出来ないし、目立ったお金の還元が期待出来

ないのが事実で所詮若鵜匠の絵空ごとです(笑)。

 ただ、小瀬の観光鵜飼は市から補助金を頂いているものの、鵜匠の家各々

が身銭使ってやっと存続出来ている。つまり天然鮎料理を食べに来るお客様

がいなくなったらお終いなんだから・・・至って本気でもある。だから鵜飼も鮎

料理も同じくらい真剣。じいさんまでの鮎捕るために行われた鵜飼とは違った

真剣味となっており・・・。

 今日の鵜飼もよーけ風吹いて出っぱななんて6匹の大きな鮎をそれぞれが

一斉に咥えて。今日の川でこんなことは稀。驚く・・・よほどの群れか。今宵も

新鵜1羽連れて11羽使用する。

 
 



09 月 29 日(Monday)
 捌いて出た白子と子はにがりのある天然塩まぶして秋夜の酒の肴となる。

そいつを昼に訪れた常連さんにお出しすると『臭みが全く無い。実に美味い』

鮎といっても川魚。ただし鮮度のいいものしか入れないので普通の人には生

臭みも感じるところがあろうが酒好きにはたまらない様子。嫁も初めて試食。

お客さんがその『子うるか』でいかにもおいしそうに酒を飲まれていたので・・

いける口じゃない嫁もうまいと発し、少し驚く。しかも白子のほうがうまいと。


今日もまたさらに強い風が吹き荒れる昼下がり。松の木の下で鮎の開きを

干しながら蝿を見張っていた。こいつらも鮎同様にお腹膨らんで大きな体を

していまして、動きは鈍くおまけにしつこいったらありゃしない。産卵の為に

皆必死と・・・。しかし、ちょっと脇に逃げるだけでしつこ過ぎる。これが秋蝿と

いうものなんだと改めて実感する。

期間暮れに近づくにつれ訪れる旅人もまばらとなってきたが、それとは裏腹

秋風は次第に勢いを増す。かがりの炎はますます燃え盛り、まるで刀匠が

生み出したかのような火の粉。上流へ向かってふっ飛ぶ。鵜飼開始1時間

前に急遽連絡して岐阜市よりすっ飛んでみえた古田正巳氏も鮎を咥えた所

を三回は写真に収めれたはず、と喜んで帰られた。あまりの炎の明るさに

驚いたのか、途中舟漕ぐ中乗りの下を90cmはあろうか程の豚のような鯉

がゆっくり逃げてゆくのを見て 『ほえ〜!』 と声を上げていた。後方艫乗り

は降り注ぐ火の粉でまともに前を見れなかったほどでした。

 真夏に大勢のお客さんが訪れる鵜飼よりこれからののような一対一の・・・

聞いた感じ淋しい鵜飼のほうがはるかにいい。お客さんが少ないおかげで

鵜飼に没頭でき、終了後はお客様、鵜、船頭皆が満足して終わる。30匹程

の鮎でした。

 マダムな方々から 『最高ー!素敵でしたわよー!』 と黄色ならぬ秋色の

歓声を浴びる。小瀬のマダムキラーとはこの私、若鵜匠。なんちゃって、

は、は、うそー・・・。


09 月 30 日(Tuesday)
 満天星(どうだん)も日のあたるところのものは部分的に色付いてきた。寒

気がスイッチを点けたのか、風とともに鼻に入ってきたのはキンモクセイの

匂い。秋の日はつるべ落とし。夕日だけでなく何もかもがするすると・・・日に

日に秋の足音が近づいてきます。

 拾い集めた庭の草木を軽トラに載せ、彼岸花の並ぶ小道を畑へと向かう。

途中には珍しい白い彼岸花が植えてあった。夕焼け前の太陽は非常に眩し

くて朝日のようでした。

 食欲の秋。鵜飼も無いので余計にそうなのかな・・・。鵜もスイッチが入った

ようで何時にない食欲である。秋ボタン、オン!!!鮎が終われば牡丹鍋。

最近オヤジギャグに走るのもまた秋のせいでしょう(笑)。