†  Diary - 2003/11 -  †

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11 月 01 日(Saturday)
  本当に11月なのかと疑いたくなるような陽気が続いている。鵜もいつまで

続くか分からぬ陽気のもと、池で思う存分に羽を洗っている。

  正午に宇宙人カップルが到着。まだ新車の香り残る円盤?に同乗させて

もらい古田さんらが主催する岐阜市の展示会場へと飛びました(笑)。

一般客は遊船から見ることの出来ない鵜飼の1シーンであろう、荒瀬の大波

に乗る 『鵜飼』 である。そして歴史的背景を知ったうえでこれを求める彼だか

らこそ、お客さんと同乗して撮った写真もそれなりの重みが加わるのは当然

のことでしょう。古田氏自身”迫力”ある、納得出来る写真を追い求めながら、

尚且つ古(いにしえ)より存続しながらも表面しか照らされない今の鵜飼を伝

えたいという彼の気持ちは団体のそれとは比べることは出来なく、僕自身助

けられていると感じるうちの一人であります。それがプロの写真家ではなく1

カメラ店の店主、古田正巳氏であります。いまだ最高の一枚は無いという。

  他の出展者の方々の写真もまた個性あり。

  ある方は郡上、大和(古今伝授の里)付近を散策されて写した竹林の細道

山奥の滝、古びた神社・・・。また別の方は飛来するタンチョウやオジロワシの

姿や、長良川浮かぶ朽ちかけた漁船の舳先に並んでとまってる美しい二羽

のカワセミを見事捉えたものも・・・。うって変わって夜空に咲く大輪の煌めく

花火やら。

  写真の展示会に訪れると感じたいのはメッセージ。単なる趣味で撮ったと

感じてしまうようなものは足を運びたくもない。一方的な意図が強すぎても

受けんだろうし。今の鵜飼もそうでしょう。歴史背景をにわかに匂わせながら

押し付けとならない強烈なメッセージ・・・?今はまだよ〜分からんけですど。

とりあえず年相応に真面目に徹することでしょうか。


  帰りに堤防脇を山へ逸れて”むかご”を採取しようとゆうことに。例年多く実

るところに一つもなかったが、奥にもう少しだけ走らせるとありました。既に先

客がいたようで傘を逆さにして集めていましたが、一角は残っておりまして蔓

をしゃぶるようにして・・何とか僅かながらも地球での良い土産となったかな?


  今日は友人が名古屋で挙式を上げた。天候に恵まれすばらしい記念すべ

き日となったであろう。せっかくお招きを受けたのだが訳あって御無礼仕り、

大変残念でありまた申し訳なかった。帰宅して裏手の長良川を望むと夕日を

背景にして天に向かって垂直にそびえる虹とは珍しい。(本日の長良川参照)

  僕に代わって友人の祝福となっておくれやす。


11 月 02 日(Sunday)
  向かう山道に目を潤すは赤、黄色の様々で・・・

されど鵜の匂いはひと時も離れることはなし。鵜との関わりあい。今の時代

にも便利にあらず。追求すれば心の付き合いも減る。


  嫁の実家、福井は三国町へ。白鳥インターチェンジより乗り換えて油坂峠。


:九頭竜にて『どんぐり拾い』の図を・・・見れー・・・

連休の中日とあって夕方も紅葉を見に来た多くの車がぶんぶん通っている。

以前100円ショップで購入したクラッシックCDをふと思い出し聴くと、夕焼け

に映える山の景色は一層美しく感じた。ショパンの軽快な子犬のワルツ♪に

は指先がつられていた。それも束の間。対照的に間もなく渋滞し・・・違った指

の音を奏でることとなる。

  心地よい車の揺れもなくなると坊主も起きてしまい、嫁子二人と揉めに揉め

た末、昨晩借りてきた『ドラえもん行進曲』に押し決められて。クラッシックに陶

酔していた僕は殊更不満で車内は一時険悪ムードに・・・。ただ小学生の頃に

聞いた覚えのある曲なんかを耳にしてなつかしく思い、一章節目からノリノリで

大声奇声発していたのが誰かは想像の通りでございます。

  『あんたが一番ノリノリやん・・・』

  5時間後に到着。食べきれないほどの海の幸を御馳走になる。この時期の

ハマチは特に脂が乗ってて大変美味であった。三国町万歳!


11 月 03 日(Monday)
  村の小さな祭りに参加して神輿の綱引く坊主の姿を一瞬ではあったが見

届けて、午前中に一人岐阜へと車を走らせる。

  本当にたくさんのお土産を頂きまして、海の幸から樽に造った漬物、柿の

焼酎あわせに・・・。嫁の叔母にあたる人からはわざわざ開店と同時に購入し

てきたとゆう、最近巷で人気の焼き鯖寿司まで。毎度毎度のわらしべ長者。

まっこと申し訳ないくらいであります。ありがとうございました。


  山の峠は雨の景色。しかし空の色が余計に紅葉を際立たせていた。時に

目線を覆う緑濃き野次馬、またある時は集団で山の中腹へ向かう巨大な登

山者とも見えるは針葉樹。それもまた然り。

  そんな詩人のような思いつきもついに尽き、東海北陸自動車道に辿り着く

頃には眠気に苛まれそうな感じ。こんな時は・・・『ドラえもん行進曲〜!』

直線の長いトンネルが連続し、対向車とはポール一つで遮ってあるだけの高

速道路で・・・しかも降雨時のワイパーなんか追加された時には眠さも倍増、

が普通である。しかし”これ”の威力は凄まじかった。吠えまくり叫びまくった

♪ドラえもん音頭に目は冴え続けたので〜あります。副作用として声枯れ、

料金所のおじさんの手が丸く見える、等があげられます。

  2時に小瀬に到着。有難いことに父が大方掃除を済ませてくれていたが

僕でも骨折る鵜部屋の掃除。相当疲れているようでした。突然叩きつける

ような雨が降り出し急いで鵜を鳥屋へと追い込み、普段出入りしなくなった

父に今朝鵜を出してもらったために暴れて怪我などしていないか見て周る。

こうゆう心配ごとが嫌だから自然と・・・出不精にもなる。





 



11 月 04 日(Tuesday)
  昨夜の降雨で長良川は増水したかどうか裏口出てみるが思ったほどじゃ

ない。動いたのは鮎ではなく大勢の川漁師のみ。日の出前から午前中ずっと

粘っても成果はさほど無かったようである。腹時計も鳴り出してきたみたいで

重たい足を引きずって1人、2人と去ってゆく・・・。


11 月 05 日(Wednesday)
  どんよりとした雲の下を多くのカラスが喚き散らして飛び交っているのだが

自衛隊の飛行機よりはマシである。朝から絶え間なくジェット機が頭上を飛び

回っており、多い時は大きな輸送機を援護して七機がひし形に編隊組んで飛

んでた。差し迫った海外派遣への演習かは知りませんが、カラスにジェット機

と・・・空の騒がしい日でした。

  鵜の餌のホッケの水を替えていますと脇の草むらであずき蛇を見つけた。

11月だというのに梅雨時のような天気で、今日なんか数ヵ所蚊に食われた。

虫も蛙も蛇も、まだまだ食欲の秋を満喫しているようだ。


11 月 06 日(Thursday)
  朝は昔っから苦手である。ここ数日の寝坊はひどい。今日は京都宇治市

からお客人が訪問と聞いていたがそれは午後のことでした。なのにみえたわ

よと叫ぶ母の声。三味線の先生らしい。先月鵜飼終わってからたまたま家に

寄られた際に『来月からは・・・。』とお話ししたのだが、未だに連絡も差し上げ

ないでいた無精者の私への強烈なメッセージ・・・和服姿を身に纏いましては

さ〜お稽古始めましょうか、と。ただ昼からの用事があり慌ただしくなりそうな

ので夕方にお願いすることにした。

  一時頃に宇治市の観光協会の方々がみえました。僕も学生時分に若かり

し妻(今ももちろん・・・)と当地の鵜飼を見に行ったことがあり、美しい景観が

記憶にございます。なんでも今まで鵜の飼育を別所にて頼んであったのを

止め、昨年からは自らで管理するようになったとかで。美しい女性鵜匠さん

でして、以前に一度だけ面識があったのですが聞けばなかなかの情熱家。

それ故に苦悩が見てとれました。僕がそうでしたから・・・。

  少ない経験ではあるが僕が知っていること、伝えれる限りのことは話した

つもりでしたが根本の管理体制が第一に違うので参考にはなり難いかも。

僕の場合は同時進行だったのでどちらとは言えませんが、踵瘤症も羽艶の

不具合等に至るまでに関して、@鳥屋環境(清潔、乾燥)とA鵜とその管理

する鵜匠との繋がりを毎日保てるかじゃないかと偉そうに話させてもらった。

自分でも本当に偉そうに話したな〜と思ってますが、実際僕も3年ほど誰

にも聞けず悩み格闘し、今となっては『鵜通病』ともいえるほど!なんて冗談

ですが本当に二つのどちらも欠けてはいかず。当時の父の助言も今回の僕

のアドバイスも結局は単なる知識のみ。頑張ってください。応援しとります。


  夕方に杵屋勝鮎先生が御到着。半年ぶりに母屋で御稽古してもらう。

『わりに弾けるじゃないの?ちょっと驚きました。』 

『毎日実は練習してましたから。』・・・先生苦笑する。




11 月 07 日(Friday)
  どうも嫁、坊主が家におらんと何かバランスが悪いとゆうか・・・決まって父

との衝突がやたらと多くなるのである。それが寂しさゆえかは?

  父と僕とがそれぞれ別の仕事をして、間に入った母もやきもき。むっとして

鳥屋で掃除をしているとeねっとのおっちゃんが冬場の猪鍋の料理写真を受

け取りにみえた。話していたらそんなことは秋の空へと吸い込まれ・・・。ただ

話の内容はさほど澄んだ会話でもなく、最近の日本の政治なんぞのこと。

一体どこへ向かおうとしてるか怖いもんですねと・・・おっちゃんは学生運動の

最中に生きた世代でした。不安感だけが先走っている今の日本、怖さの見え

ない社会になっているのか。はたまた人が虚勢されてしまっているのか。

  もちろん重い話ばかりでもなく、楽しいひと時でしたがね。

  冬場のしし鍋。もっと多くの人に知ってもらったほうがいいんじゃないかと

言われまして、さっそく写真を撮りまくって。新しいページを作っている間に

・・・・は〜・・・・3時になっちゃいました。おやすみなさい。



 

 


11 月 08 日(Saturday)
  11月に入ってから寒い日がほとんどなくて昨晩なんか手足は蚊の餌食

となる。この時期にしてヒーター引っ張りだすんじゃなくって香取り線香とは。

今晩も既に足の先っちょがぷくっ、と膨れております。

  剥離骨折してた鵜はほぼ普通に立っていられるようになった様。だけれど

もうしばらく籠の中で静養すべしっ!と引き続き今日も朝から籠に押し込め

とく。鳥屋に入るなりそいつだけギャースカ騒ぐのです。もう堪忍してー、と。

そりゃこんな天気のいい日が続いていて、目の前でばちゃばちゃ気持ちよー

水浴びしてるのをじっと見てるだけなんて退屈である。一緒の目線で他の鵜

を見ているとまだ羽虫がしぶとく生き抜いているのが分かる。毛づくろいとは

また違う啄ばみ方。2週間前の作業は不完全だったようだ。今日は生えに生

えた塀の雑草を始末する仕事があるため後日行うことに。

  刈り取った草やら蔓(つる)を軽トラックにいっぱい積み込んで畑へと。

既に下部は腐葉土と化した以前の草山をちょいとどかしてみると・・・おるわ

おるわ、化け物メメズ(ミミズのこと)にでっかいカブト虫の幼虫がしこたま。

ちょうど荷台に載せてあったダンボール箱に5,6匹を土と一緒に持って帰り

冬支度間際のオオクワガタいる容器の中へと放りこんだ。

  夕方少し時間があったので網持って長良川で遊ばしてもらいに行く。成果

はウグイ1匹のみ・・・。で、家に戻って見ますと?。ウグイって婚姻色帯びる

のは春先じゃなかったかな。下部がオレンジ色になっていました。(『本日の

長良川』参照)

  確かにここ一,二週間は季節が逆行しているような感じを受けました。春の

ような霞が数日続きましたしね。あんまし暖かいんで間違えたのだろうか。

  今年は自然界も人間社会も、そしてお国の政治も普通じゃない。いずれも

おかしな方向へと舵をとっているようだ。明日は山からホーホケキョと聞こえて

こようか・・・、いや政治屋さんらの雄叫び声かな。


11 月 09 日(Sunday)
  今日は衆院選。鵜の餌を終えて7時頃に公民館へ。そして帰るなりテレビ

にかじり付いておること数時間と、つい先程まで。僕の住む岐阜3区は熾烈な

戦いが繰り広げられました。投票率は思ったほどとの伸びの悪さが歌われる

のとは裏腹の大きな変化が示されました。足並み揃わぬ結果かそれとも・・。

総裁とゆう『頭』が群れを率いてないんだもの。

  今朝がた展覧会を無事終えた古田さんが訪問されまして、昨日借りてきた

ビデオをお見せする。『wataridori』である。渡り鳥がはるか彼方の大地を目指

してひたすら飛ぶ、飛ぶ。ガンなどの大柄の鳥はリーダーを先頭にして渡る

のだがそいつがいなくても個々それぞれ天体を目標にし、体内にコンパスの

ようなものがあるらしく何千k離れた目的の大地に辿り着けるとか。小柄な鳥

も同じであろうが、うじゃうじゃした蠅の塊のようになってすばやく右往左往す

る様子は凄いというか、何でそんなふうに動けるんだろうと思った。古田さん

も父と一緒になって驚嘆し見ておられた。

  子々孫々と生き抜くために備わった能力だが、僕らもこの不景気、不透明

の日本のなかで行われた今日とゆう選挙日、1人1人がのらりくらりと歩いて

おっては駄目なんやけど・・ええんかいな、この政治局面にしてこの選挙率。

どの政党にしても無投票にしてもとりあえず投票所行って、ちゃんと俺ら見と

るよ〜!と意思表示せんと変わらんのに。

選挙に行っても何も変わらんとゆういわゆる無関心層はわかっとるんかな。

支持者ばかりが投票しとったらその人ら一部の利としかならんっちゅうのを。

こんな辛口の僕も実は大の・・・甘党であったりします。


11 月 10 日(Monday)
  今日からやっとゲン吉が出所した。えっ!出ていいの?と不思議そうに

鳥屋籠から頭を出してキョロキョロしたのちにおもいきり羽ばたきしながら

庭へ出る。存分にシャバの空気を吸い込むと、ご苦労さんです!と相方が

首を交わせた。できれば天気の良い日晴れて自由に、としてやりたかった

のだがあいにくの雨・・・。しかしストレスで食も細くなっていたしほぼ回復も

したのでこれ以上籠に入れておくことはできなかったのです。

  乾ききった大地に昨日から雨が降り始めまして、やっと11月らしい肌寒さ

を感じることが出来た。しばらく雨降りの日が多くなりこれをさざんか梅雨と

言うらしい。初夏には菜種梅雨もあった。非常に天候不順な年のくせにこう

いった古めかしい言葉が横行するというおかしな年です。

  嫁の在所におる坊主が風邪を患ったと聞く。会える日が遠のいた。

こちとら異常気性、 父ちゃんの頬には涙つゆ・・・。。。



11 月 11 日(Tuesday)
  朝起きて長良川を眺める。

昨晩の雨は知れたものでさほど水位も上がっていなかったが、昼前から次第

に上昇し赤濁りとなった。正午頃雨も激しくなり更に水位も増してくると『そじ』

(瀬張り網漁の場)にも人影がいなくなった。直後に川の真ん中に波打つ鮎の

群れが出現して”そじ”を通過してゆくのを漁師らが指咥えて陸から眺めてい

たと聞く。

  鳥屋の掃除を済ませた昼食後に屋敷裏に出てみると、白鷺の群れが上流

の鵜飼廻し場付近へと降り立つのが見えたので写真を携え向かう。帰り際に

年老いた漁師に出会った。面識がなかったのだが30分余り長良川のことに

ついて良い話が伺えた。途中、このおっちゃんからもやはりウグイがやたらと

かかって敵わんと聞く。この方は先日武芸川で網漁をしてたときに鮎かと思っ

たら全部見事にウグイの群れだったとか。鮎の卵狙った川鯉が掛かるのは

よくあることだが落ち鮎狙って来ているのにウグイばっか・・・異常だわ、と。

  そして夕方『そじ』のおっちゃん達にもウグイばっか大漁に獲れたと聞いた。

今年は雨がやたらと多いわりには大きな台風の被害もなく、例年なら数回は

ある大水がありませんでした。おかげでまだかなりの鮎が下流へと下れずに

います。三日前に美濃の奥、御漁場付近の立花へ行ったとゆう漁師からまだ

一面真っ黒に群れており郡上なんかでもかなり残っているとも聞いた。

  たぶん落ち鮎にとって今回のさざんか梅雨が最後の機会となろう。上流部

で産卵した鮎の成長は期待出来ない。鮎自身も分かっていることであろうし。

今年の長良川。川漁師らが皆いくら鮎を、愛し〜ても、愛しても、捕れ〜ぬ〜

川〜♪。また鮎の子にとってはなかなか帰れぬ遥かなる海、か。

  明日は漁師が愛して止まない川となろう・・・


11 月 12 日(Wednesday)
  落ち(子持ち)鮎料理を好むお客様の来店は今日で大方終了。昨日の昼、

今年初めて池のなかへ餌を投げ込んで与えた。これをすると池の水の痛み

が早くなるし食う鵜と食わん鵜の差が出てくるので本当は嫌なのですが・・・。

ただ今日は三重県を中心とした東海方面から大勢のおじいさんおばあさん

のグループも見えると聞きまして、土産に見せてあげたかったので前日から

予行して慣らしておいた。

  食後に杉苔の庭を散策されており石畳の脇に花開く椿や老爺柿を愛でて

おられた。鵜の餌やり風景を御覧いただいた時には『あれ食べておらんのや

な〜い?』 との老婆心にあれこれ御説明差し上げる。

  昼過ぎると屋敷は見る見る黒い雲に覆われ、また雨かと思わせぶりでした

が降りもせず、今日こそは(そじに鮎が)廻すだろうと踏んでた川漁師らも全

くの期待外れとなった。今日来たのは地震だけ。こちらは揺れなかったので

良かったが僕は大の地震嫌いで震度の大小に関わらず心臓がバクバクし

てしまう小心者。運良く8割がたは眠っておる最中でして、朝起きてから家族

に聞くのがほとんどではございますが・・・。

 


11 月 13 日(Thursday)
  それらしい季節の寒さが戻ってくると桜の葉もおおよそ落ちてしまった。

次いでもみじ、どうだんの葉が落ちてこよう。そうなると毎日庭の掃除で

明け暮れる。

  よく竹ぼうきで木の枝叩いて回る父と口論した。京都なんかの茶室ある庭

など『侘び寂び』の空間では、落ち葉なんかをあえて落としたりそのままに

しておくそうだ。一方、父は少しでも掃除の回数を減らすためにまだ美しく枝

先に残るものを落としてしまうので、知れた知識を引き合いに出して夕飯が

お互いにまずくなるまでによく至ったものです。

  当時は自分で言うのもなんですが特に口ばっかでして、偉そうに口を出す

くせに掃除もろくにしてませんでしたっけ。今となって父の気持ちが分かるよう

になりました。ただやはり無頓着なところが父にはありまして、今日なんかは

掃除がしにくいと氏神様の前に植木鉢の棚を置くとゆうそれこそバチ当たりな

ことをしてたので、父の居ぬ間にちょいとずらしておいた。後に帰ってきた父、

不思議そうに眺めていた・・・。

  葉っぱだけに終わらず、止まっていた鵜の抜け毛が寒さとともにひどくな

りはじめ、これからの毎日は掃除の鬼と化す。







11 月 14 日(Friday)
  小瀬の松尾山もほんのりと色づきはじめました。橋の上から長良川を見下

ろせばウグイの群れが通り過ぎていく。橋の上から網を投げている隣のおじ

さんに聞けばなんら不思議でもないとのこと。ただ、例年と比べて暖かな日

が続いていたのと少雨のせいで鮎の下る時期がずれ、本来鮎の姿が見えな

くなってからウグイの群れが見えるので違和感があるのだとか。でもやはり

あの色と艶は微妙である・・・。

  鮎もまだ場所によっては上流部に多く残っているようだが、今年は寒バエ

などの小魚が多いようである。夕方知り合いの川漁師のおっちゃんが鵜の餌

にとハエを除いた小さな川鯉の稚魚を袋いっぱい持って来てくれました。

明日の餌やりが楽しみだ。坊主も帰ってきたことだし明日は池で投げ与える

のを見せてやろうと思っている。



 







11 月 15 日(Saturday)
  ごく普通に季節感の沸く話題なり日常を楽しみながら書き記したいのだが

それもままならない・・・。と言いますのも目に入る色彩自体が秋らしくないこ

とばっかりで。

  数年前にうちの庭で椿の花の『狂い咲き』を新聞社さんに取材されたことが

あったのだが、その時は数輪のみでした。それが今日は多種にわたって狂い

咲きを目にする。2月頃咲く八重椿の花に始まり芙蓉の花の返り咲き。そして

南の駐車場脇にはたらの芽が出ていたり。長良川を愛犬連れて散歩してると

飛び交う2匹の黄色い蝶。あ〜春だな〜って?この陽気に納得して”得”した

気分になるはずもなく、。

  雲行きが怪しくなってきたので昼過ぎには鵜の餌を終えた。昨夜もらった

小魚をホッケと混ぜて池の中へ放りこんでやるのを坊主に見せてやる。坊主

より鵜のほうが喜んでいました。

  日の暮れ、当HPを見たとゆうお客様が来店。朝から季節感を害された僕

だが、その着物を着た若き女性の下駄を履き歩く後ろ姿を見て心癒された。

『お母さん!付き添いの男の方見た?とても素敵で俳優さんみたいね。』

『ほんと、すっごいハンサムやよ』 と、いつになく意気投合の嫁姑。

『・・・・・あーそーですかー・・・・。』

『あなた焼かなくていいわよ。良かったね、私メンクイじゃなくって!(笑)。』

(無視、無視。ひたすら僕は魚焼きに集中・・・)そして最後におかえし。

『俺メンクイなのに失敗しちゃったわ!ところでこっちのうまそうなの和服の

女性に持ってってね。素敵だよな〜ああゆう方。』

『・・・じゃ、反対にするわね。』 と、二人して・・・・。




11 月 16 日(Sunday)
  春、夏、秋、冬。昔の鵜飼屋とは暮らしの習慣が変わったとはいえ一日と

離れる日がなく単調な日々の毎日だ。鵜匠に生活リズムが無いならば、鵜

と向き合うことも無くなってしまう。今や鵜匠の僕一人だけが鵜中心の生活

であり、家族は理解あれど、ぐらいかな。それ以外の知り合いの方には理解

を得られていないことが多い。

  よって精神的に一時かなりやり込められたこともあったが、経験と時間が

徐々に穴埋めをしていってくれてるようだ。嫁さんや家族には古風すぎると

見られ、他人からは若いのに『鵜匠』とゆう肩書きをもつせいでおかしな扱わ

れ方を受けたりもする。若い方にはかなりのおっさんにも見えるようだし・・・。

今時の若い人間と合わせようとしても自分を見失っっちゃうだけでした。

(部屋に入って来た嫁が横で『しつこすぎる!もう止めなさい』と煮詰まった

僕を嗜めるので、もう止めにします・・・。)

 自分で言うのも何だが、かなりの匂ってくるほどの屁理屈・・・鵜匠っす。


11 月 17 日(Monday)
  昨夜遅くから風の唸りがひどく竹林の揺さぶられる音が聞こえていた。

晴天の空のもと朝から風は吹き荒れており正午のニュースによると木枯らし

1号が吹いたと聞き納得する。

  今日は朝から家族総出で掃除の日となりました。女衆は明日の撮影場と

なる母屋をの中を雑巾がけにガラス拭き、花活けなど。僕は鳥屋掃除のあと

父と庭掃除をすることになったが始終風との追っかけっこ。集めた木の葉は

強風と神出鬼没の坊主の一撃によって飛散。溜め息で更に舞うほどか・・・。

  池の水はまだ美しいものでしたが栓を抜く。ここ最近の過ぎる陽気にボケ

てた体は、水浸かる足に一際冷たく感じ秋の深まりを知った。






11 月 18 日(Tuesday)
  朝長良川の堤防上を歩いていると川鵜の群れが瀬肩で休んでおりまして

100羽はいるだろうか。しばらくして上流からゴイサギが魚発見!ののろし

となる声を発するや否や、次々とそこへ飛び行き浅部へ魚の群れを追いやり

捕食。また離れては・・・の繰り返すこと二度,三度。

  昼から取材。坂東栄二さんが下町歩くそこ知りリサーチとゆう番組でして

今回は関市が舞台。そのなかでうちもちょこっと取り上げてもらえるとか。

本町周辺、刀匠さんを経てお昼過ぎに到着。同時に鵜を鳥屋から出したの

で急いで掃除をしなきゃならず、その撮影の様子の写真を撮りたかったの

だが出来ませんでした。

  同日、岐阜市や関市の観光課職員と代表の先輩鵜匠の方々が茨城県の

十王町へ向かっている。撮影に同行されていた市役所の方にこの件に関し

ての御意見をお伺いしまして・・・ますます白髪も増える。

  だからといって立ち止まるわけにもいかず。お知り合いの方に何事も行動

あるのみ!との励ましとゆうか尻に火も灯されまして元気も出てくる。先を

見据えて今何をすべきか、一本筋を新年までに立てます。お電話ありがとう

ございました。






11 月 19 日(Wednesday)
  今は2003年。長良川にける鵜飼は古い時代から今までずっと継続して

きた。時代ごとの権力者に保護され今に至っているわけだ。現代も非常勤

ながらも宮内庁式部職の肩書きを賜り、有り難くも保護されておるのだが

実際何によって生きながらえているのかと申せば、観光とゆう人の流れ。

  雅楽、邦楽、あるいは古典芸能にいたるまで最近とても受け入れられ

やすくなってきたように感じる。それぞれの分野にて個性的に多くの人達が

活躍している。単に新しいものが生まれた場合は”流行”として字のごとく流

され、正統さを備えて斬新に打ち出せば広く長く受け止められている様子。

  これから鵜飼はどのようにすれば良いのかと考えた。

僕自身は歴史を担う一人としてのプライドを持ちすぎているせいか『”漁”とし

ての鵜飼』とゆう認識。片やお客さんの目にはどう映っているのか。もちろん

言うまでもない。分かっている。

  僕が欲するところの歴史背景を視野に入れた見方出来るお客さんなんて

一握りのもので、自分のエゴとゆうのも重々承知しておる次第。

  さてこれからの小瀬の鵜飼。その歴史を濁さず如何にして斬新なサービス

形態が打ち出され、鵜匠も鵜となり客層を捕まえることができようか。

(因みに鵜と鵜匠の関係とは”操る”、”取り上げられる”のそれで無いことを

頭に入れておいて欲しい。手縄は捌くものであり鵜の稼動範囲確保のため、

鵜はまず第一に自らの食を満たすためである。)

  現在の小瀬の鵜匠は一昔前の鵜飼屋とゆうような企業形態の頭ではなく、

ほぼ観光のボランティア活動者といったところか。鵜匠の家として生きてゆく

ために戦後付随して行うようになった鮎料理や旅館経営でやっと生計が成り

立っている。


  明日は鵜飼関係者と遊船関係者による役員会が関市で開かれる。僕のよ

うな若造意見は所詮”お前の夢”であり、自分自身の持続的な日々の行動で

しか表現出来ないので、これまた父と同様に評価もされん。要領悪くてもこれ

が大事だと父の生き様に見、最たる息子の名付け意味である。

  今のところ僕の親父ギャグとしては人生最高傑作なのであります。


11 月 20 日(Thursday)
  本日関市本町丸美寿司でにて遊船会社の役員会が開かれた。僕以外は

ほぼ一流刃物会社の社長さん。少ない役員報酬に関わらず市の観光事業

の鵜飼に携わっていただいている。僕以外、先輩鵜匠も皆会社務めである。

  今日こそは最後まで黙って議事進行を見届けて早々に退席するつもりで

いたのだが、流れを変えるような面白い案が出てこなくて悶々としていた。

疼く口元はタバコでなんとか我慢して会議は無事終了・・・会食となる。

  鵜のことがありそろそろ帰らねばとゆう時に、社長が僕にとっては導火線と

なるような話を切り出してしまい、彼が話し終わってからの短い沈黙が僕の

着火点となってしまった。内容の詳細はここで記述しないが自分でも面白い

と思う。ただ実現はしないかな。『お客様に対する癒し系の投資』といったとこ

ろのものであり、石橋を渡らずに叩いているだけの会社方針ではありえない

発想かな。


  来年度から会社は消費税を払わなくちゃいけなくなる。そのことでも乗船料

に上乗せするか否かといった話も出た。しない場合にはマイナス分をどこから

捻出すべきか、など。これは会議の際に出た話なので若造は口に手を当てて

いたのだが、これなんかも別の投資と思えばいいと思いました。今の鵜飼の

待ち時間などには改良すべき点がいくつもある。誰も手をつけず、言わずの

状況。

  消費税納税⇒値段据え置き⇒収入減

僕の示したアイデアはチャチなものかもしれないが、これを機会に何もしない

のはもったいない。全く無駄な『投資』としてほしくないところです。しかし何で

社長や会長のみが気のきいた斬新なアイデアを切り出すのだろ。本来ならば

その周囲や事務方ら2番、3番手の仕事なのだが・・・。


  言うだけ言って気も済んだ。早々と退席し、鵜のもとへ急いで帰る。


11 月 21 日(Friday)
  この時期にしてはやけに生暖かい梅雨のような雨が降り続き、昼を過ぎて

ようやく止んだ。その頃、バカンスとなった友人のフランス人が訪れまして

彼に鵜の餌やり風景をお見せする。僕が鳥屋の掃除を終えるまでの1時間

余りの間中、庭で鵜の羽を広げる様を興味深く観察していた。途中手伝って

くれるなどして助かった。

  さて日本もバカンスではないが明日から三連休に入る。〇休みなど無いが

明日は僕にとって記念すべき日でもあり、昼時にちょっくら郡上方面に出かけ

る予定。

  話変わって先ほどニュースステーションでスローフードに関するやりとりの

場面があった。グルメ番組の一方的なオッピロゲ紹介と違って胃を直に刺激

しました・・・トウガラシ関連だけに。

  と、そんなことを言いたいわけじゃない。岐阜県においても近頃紙面等でも

『スローフード』を掲げる文章を目にするのだが、我が県でその最たる代表的

な珍味が危機に瀕しているのを御存知だろうか。ちびちびやりつける古から

の食とゆうか珍味となった・・・ウルカである。

  今も昔も変わらぬ一級河川こと長良川はその標識看板が錆びているように

トロ場の川床には上流下流問わず砂。降雨量によっては下流域に行けば行く

ほどヘドロを目にするようにもなった。結局今や鮎の腹腸で造られるウルカは

幻に近くなってきている。

  今日の紙面において岐阜の市長さんが議員さんに文句をつけられていた。

選挙戦の当てつけ?いやいや町の活性化にやる気が見受けられないとか。

ところで県内の山や川の改修によって廃れた川の再生責任は誰にあるので

しょうか。長良川の砂漠化が進む今、富士山が世界遺産に登録されなかった

ように鵜飼においてもその話が進むなかで将来的には非常に大きなマイナス

要素となりうる。

  スローフードを奨励する知事さんだからこそ、自らも川の再生に御尽力を賜

りたいところであります。お願〜い、拓ちゃん!!!?(ハーイ!拓ちゃんの

県政ホニャララとゆう番組が岐阜ではあります故、更には僕も県民故、言っと

かんとね(笑))。長良川の天然鮎を楽しみにしておられるのは大事な観光客

は勿論のこと、・・・鵜飼で献上されますゆえに。良き天然鮎が取れなくなれば

昔っからの鵜飼屋の職人気質も薄れましょうに。

  ちょっと意見が過ぎるぞ〜!と耳に入り怒られるくらいにはいつになること

やら分からない。高校生時代に学校批評のチラシが差し止めとなった思い出

(担任の先生によってはO・Kと問題なかった)が今となっては懐かしい・・・。

正直な感想を言っただけなので先生によっては憤慨し捨てられたと耳にしても

若かったし別に気まずくも感じず、友人と起こしたそのイベントが僕らの去った

後も続いたと聞いて、ただただ嬉しく思った。

追記;ところで当時の僕はかなりミーハーでした(笑)。


11 月 22 日(Saturday)
  長雨も過ぎて完璧な西高東低の冬型気圧配置。急激に寒くなりました。

庭に出た鵜も寒そうである。抜け毛がひどくて掃除は更に時間がかかって

しまい11時前に家を出た。今日は3人揃って郡上は大和、古今伝授の里

へ向かった。

  暖かな日が続いていたので紅葉はまだ存分に楽しめるだろうと道を行く

がやはり11月も暮れの晩秋。もみじの赤は目立ったが山全体は既に色が

落ち始めていた。ただ出不精の僕にとってほんの少し足を伸ばせば大きな

変化が見れて何の問題もなく、美しいに変わりない。

  正午前に到着。予約してもらった時間にちょいと余裕があるので辺りを

散策。横の神社並木の大木を見てはトトロの木だと泣いて喜ぶ坊主の姿。



  そうこうしてるうちに皆の腹時計も鳴りにかかり、その針はフランス料理

『ももちどり』を指し示す。竹林にもみじやらの木々がグルッと囲む池には

カモが数匹泳いでる。ガラス張りの水上コテージ。目も舌も満足したのは

言うまでもない。運転のためワインを口に出来なかったのが唯一残念で

あった。(帰宅して夕飯時にボジョレーを飲めたのでよし!)

  土産屋さんで素敵な猿の置物を購入し家路に急ぐ・・・ハズでした。

ところがここは坊主にとって初訪問で土地勘無いはずなのに(辺りが山の

せいか)釣堀に寄れと言ってきかない。やむなく寝なかったらね、と約束。

もちろんそれまでに間違いなく寝ると思ってたのだが、着く5分前には自らの

手で目蓋をこじ開けるなどして呆れるほどの根性と意地を見せた。

  餌が無くなったら終わりだと約束し、カツオ釣りのように8匹のニジマスを

次々と釣り上げて・・・・・有意義な10分間のショートステイに満足?するよう

な出来た子供に育てた憶えはなくって、引き摺って帰った。



11 月 23 日(Sunday)
  昼食時に関市役所前の広がる田畑へ向かった。ここへ来ると必ず僕の幼

馴染の言葉が脳裏に 『秋の稲穂が実る季節に市役所の最上階から裏手を

見渡したことがあるかい?今の時代にこれだけの人口多い町でこんな風景

一望できる市役所はそう無いんじゃない。』 高校時代にはこの町は嫌いだと

言ってた彼は大学時代後半には既にそう話すようになっていた。加えて親の

面倒もあるし関はやはりいいところだからゆくゆくは戻ると。現在は東京の外

資系の会社で活躍している。

  そんな素敵な田舎風景。現在は役所の背景に留まれど将来的には新た

なメインストリートの土台となってしまおうか。子供の頃と比べると現在本町

には空店舗がかなり目立つようになった。子供の社交場、社会感覚を身に

つける場であった駄菓子屋、また大人にとっては映画館や町の銭湯が消失

してゆく。代わって郊外に巨大店舗。行政以外の、つまりは市民レベルでの

個性的な町づくりじゃない”店”づくりを積極的にせんとあかん。

  町の中では出来れば車じゃなくて歩いて人を動かして、町のなかで金を落

とす勘考せなあかんよね。とりあえず今関市において人が最も集まるところ

はマーゴ(ジャスコ関店)とパチンコ店。昨日は隣接した映画館もオープンし

若い人間の集まる場がやっと出来た。関市もレベルアップじゃ〜い。行政で

関与出来ない店づくりであり町づくりのいい例でしょう。これは規模が大きく

単体だけれども・・・。関には皆気づいていない需要のあるマーケットがまだ

まだ多く存在する気がしますね。

  さて関市役所自慢の田園風景に戻る。今日はここで凧揚げ大会が開かれ

たのであります。天候は最高。空はすっきり雲一つ無く今日出会った藤井君

の頭の如し。晴天のもと出店が連なり家族連れで賑わっていた。風が弱かっ

たので大凧の舞う姿はあまり見られなかったが無数の連凧が上がった。



余興の大太鼓を見て近くに行くと見たことある面々があった。美濃加茂市の

牧野太鼓の皆さんだった。ふと目が会うと顔を覚えてくれてたようでその仲間

女性に声を掛けられた。大将には鮎の食い過ぎで太ったんじゃないの?と。

いやいや食べてもらう側ですよー。”老けた”と聞き間違えたのかな。

今年は長良川での喜多郎氏と共演したとか。多地域で精力的に御活躍なさっ

ているようです。



11 月 24 日(Monday)
  父と庭仕事をしていますと、僕の網の師匠T氏が鵜の餌にと寒バエを持っ

てきてくれました。庭木の植え替えがちょうど終わったので一緒にお茶を飲ん

だ。彼は漁の才があると同時に庭造りの趣味もあり、その経験と知識はすば

らしいものである・・・僕の剪定した松の駄目ダシをくらった。宇宙人さんにも。

今日はそんな日でした。

  いただいた寒バエを鵜に食わせる。24羽の全てに与えることは出来なく

古参の鵜と若い鵜にしぼった。ただいつもと違う魚の大きさに戸惑った若い鵜

の一羽は割り当て量を与えれず。口を閉ざしてしまったので普段通りホッケ

を手にすると口を大きく開いた。寒バエのほうがうまいのになぁ。







11 月 25 日(Tuesday)
  今日は子供と『鴨捕り権兵衛さん』見ながら二人して夢のなかへ。

よってこの日は日記を書けず。


11 月 26 日(Wednesday)
  鵜の餌となっているホッケは関市内の冷凍屋さんに保管されているのだが

日数の経過による冷凍焼けがひどくて1割はそのまま”捨て”となる。鵜を籠

の中に入れて生餌を捕りに川へと出かける。

  長良川は昨日の雨の影響で水位はまだ高く薄く濁っていたが網を打つこと

はできる。今年初の鵜匠だけによる餌飼い漁となった。川の中10分ほど待つ

と10mほど前に大きな群れがやってきた。こっちに来そうでないため走って

駆け寄り網を投げた。網の手前を魚がぐつぐつになって右往左往、そして8割

近くは網の端へと消えていった・・・失敗である。

  それでも1kgは捕れたのでよし、と岸に上がって網の魚を外していると対岸

より坊主の呼ぶ声が届いてきた。振り返って空を見上げると百羽もの川鵜が

上空を旋回している。風切る羽の音も聞こえてなんとも迫力ある風景でした。

急いで家に戻って年寄りを中心に食わせてやった。


11 月 27 日(Thursday)

  昼過ぎ、市役所の観光課職員さんに鵜の飼育許可証の手続き書類を

受け取りに来ていただいた。今春十王町にある鵜の捕獲場が陥落しまだ

復興の目処が立っていないため、例年ならこの時期に行う新鵜(野生の若

鵜)の購入数の提示はもちろんのことない。この件に関しては携わる人間で

ありながらも行政を見守っているだけの立場に留まっておるため、深くお願

いのお辞儀をするのみ。


  庭の中日陰にいる鵜が寒さに震えるようになった。冬も間近で当然だが、

そんな時期に台風が接近しているとか。またしばらく雨降りの日が続く。

いつにない不順な天候の年、加えて捕獲場復旧の予定が決まっていない

ので余計鵜の体調管理に気を遣っている。今日もわずかばかりの自然の

サプリメントを調達しに長良川へ・・・。


  夜はほろ苦いイタリアンコーヒー。秋の移ろいはとても早く、人間社会も

日々また目まぐるしいこと。個人の生活から世界の情勢まで明るい未来を

望みつつ・・・・フランスの友人と囲碁の勝負?に夜が更けていった。

『オモセロ〜イネ、デモムズカシ〜イネ!』

終わってみなけりゃ分からないとゆう、その白黒のつけ様が?僕は好きで

彼もそれを感じたようである。

  ところでコンピューターは囲碁で人間に勝てるようになったのだろうか。

いくら進歩が甚だしくとも無理やろうて。でも、僕には勝てるわな。

間違いなくっ!


11 月 28 日(Friday)
  坊主を風呂に入れた後、宇宙人さんらと酒の宴をともにした。

酒の飲む量が半端でない。やはり皆、・・・人間じゃないわ(笑)。


11 月 29 日(Saturday)
  数日前からキツネのような甲高い声を発していた中堅の鵜は回復してた。

季節外れの台風21号と前線の影響で雨一色の一日。朝から雨の雫を体に

纏って羽も広げずにいる鵜らは頭を羽衣の合わせ目に置き何とも寒そうであ

る。急いで鵜部屋の掃除をした。

  ただ時期にしてはさほど雨の冷たさはない。鉢植えにある初夏の山野草の

岩タバコが狂って芽吹いてるくらいだからそんなもの。この雨のなかもタバコ

咥えて網持ち川原に立つ姿、傍から見れば僕こそ狂った気違い漁師やね。

堤防沿いを行き交う車から奇特な目で見られながら・・・獲れた小魚は微々

たるもので。そんなふうにして一生懸命僕が苦労して獲った魚もあのチビ。

『何食わすんじゃ〜!』と今日も吐き散らしたのは若いメスの鵜だ。こいつだ

けは鵜飼の経験が少なく小魚に慣れてなくって、口の中にわざわざ入れて

やったのをぺっ、ぺっ、と戻してまう。苦労の甲斐もない?いやいやホッケの

裏に隠してしっかり食わせました。

  苦労が水の泡と消えてしまったのは午後のH2Aロケット。川から戻り遅い

昼飯食べてると打ち上げに失敗したと耳に入って何かと愁える。それに携わ

るお知り合いの方々の目を昨夜見ただけに大変残念に思った。もちろん人

ごとではなく、日本国民としていろんな意味で大きな損失となったこと・・・。


11 月 30 日(Sunday)
  梅雨のはしりみたいななんとも暖かくじめっとした日だった。

昨日の新聞で、本日郡上の大和で剣道の立切試合があると知り昼食後に

向かった。僕は剣道の経験は中学時代体育の授業でやった程度。小学生

時分連続バック転のトンボ返りをピョンピョンし全国で2位になった同窓生の

少年剣士もいて、強くなるとつま楊枝一本で人を倒すことが出来るんだから

すげーなーと(笑)。ちょうどその頃、武蔵の剣とゆうテレビ番組がありまして

(漫画なんですが)欠かさず見てたんですよね。

もっとも今回は坊主に見せてやりたかったのだ。家のおもちゃ棚には5、6本

のプラスチック製の刀がありまして、これで毎日叩かれたり。これが結構痛

いので大人げ無くたまには泣かしたりも。だが”も〜しましぇ〜ん!”の号泣も

一分後には再度剣を持つ有様・・・。

  会場に着くと竹刀売り場をあえて見せないようにして奥へ。ちょうど開会式

も終わって始まろうとするところでした。太鼓を打ち鳴らす音に見てる僕らも

身が引き締まる感あり。最後の一打が叩かれ館内に響き渡ると両者一礼し

試合開始となった。隣り合った二面の会場で二人の剣士による連続30立切

試合。1試合3分30ラウンドだ。凄いとしか言い様がなかった。

名残惜しくも1時間ほど見入った後、関に戻りました。